新たな二つの課題

8月に北海道を訪れ、昌也くんをはじめ、サリドマイドの仲間たちと会ってきました。

今どのような生活をしているのか、体の具合はどうなのか。いろいろな話をしながら、一緒にお風呂に入ったり、のんびり過ごしたりする時間も持つことができました。

ただ、そのときに会った友人の一人の体調が、どうしても気になっていました。

そこで、もともとの予定にはなかったのですが、「もう一度、様子を確かめに行こう」と思い、9月に入って再び北海道へ行き、つい数日前に戻ってきました。

実は、私が訪ねる前に、その友人は体調を崩して倒れ、ご家族によって病院へ運ばれていました。

私は今回初めて、その友人が以前から心臓に問題を抱えていたことを知りました。8月に会ったときには、体調が悪そうなことと心臓の問題が結びついているとは、まったく考えていませんでした。受診に繋げられず非常に悔やんでいます。

(病状は個人情報に係る内容ですが、サリドマイドの人に注意換気をしたいと思いますので、病状について触れさせていただきました。)

サリドマイド被害者が年齢を重ねる中で、どのような健康上の問題が起きているのかについては、まだ十分に分かっていないことが多くあります。

私自身も心臓にあながあいていて(中核欠損)、幼少期は大人になるのは難しいと言われていました。サリドマイドの仲間との交流の中では、心臓について何らかの問題を指摘されたという話を聞くことがあります。不整脈がある、心臓に雑音があるなど、その内容はさまざまです。

もちろん、こうした問題がサリドマイドと関係しているのか、また、どのくらいの人に起きているのかについて、今ここでお示しできる十分なデータがあるわけではありません。

データが少ない希少疾病の患者さんたちにとって、異常が起きた時の情報の蓄積がない、というよくあるあるの問題です。

そして今回、もう一つ大きな課題だと感じたことがあります。

それは、私たち自身が、自分の身体や健康状態について医療者にきちんと伝えることの難しさです。

例えば病院で「私たちの身体は一般的な人とは少し違います」と伝えても、それでは具体的に何がどう違うのか、どんなことに注意してほしいのかを、その場ですぐに説明できる自信はありません。

まして具合が悪いときに、自分の状態を整理して説明し、必要な助けを求めることは簡単ではありません。

急に背中が痛くなった、足がしびれて歩けなくなった、歯科治療の際に麻酔が利きにくいなど、普通の人たちとは違う症状があります。そんな症状が起きたとき、それがこれまでの身体の状態とどう関係しているのか、何を心配しているのかを本人自身もうまく説明できないことがあります。

今回の経験から、二つの仕組みが必要なのではないかと感じました。

一つは、本人と医療機関との間に入り、本人の状況を整理したり、必要に応じて医療機関への説明を手伝ったり、適切な医療につなげたりすることのできる「人」の存在です。

もう一つは、自分の身体の特徴やこれまでの健康上の問題、医療者に知っておいてほしいことなどを、必要なときにきちんと伝えられるようにしておく「情報」の仕組みです。

具合が悪くなってから、すべてを本人が一から説明しなければならないのではなく、必要な情報をあらかじめ整理しておき、それを医療者に伝えられる方法があれば、本人にとっても医療者にとっても大きな助けになるのではないかと思います。

サリドマイド被害者の健康問題については、何が起きているのかを調べることはもちろん重要です。しかし、それと同時に、実際に一人ひとりが病気になったときに、必要な医療へどうつなげていくのかということも、これから考えていかなければならない課題だと思います。

10月には、オランダ・エグモントでサリドマイドの国際会議が開かれます。

世界各国の仲間たちが、こうした問題にどのように取り組んでいるのかも聞いてみたいと思っています。そして日本に持ち帰り、私たちにどのような仕組みが必要なのかを具体的に考えていきたいと思います。

北海道に心配しているサリドマイドの仲間がいる

北海道に、今とても心配しているサリドマイド被害者の仲間がいます。
個人のことなので詳しく書くことはできませんが、障害がかなり重く、これまで日常生活の多くを家族に支えてもらいながら暮らしてきた方です。

昨年頃からは週に2回ほどヘルパーさんにも来ていただき、入浴介助など、家族だけでは負担の大きい部分については福祉サービスを利用するようになっていました。前回の訪問の時に、自立生活が困難になってきていることをいしずえに告げ、ヘルパーさんに繋げるようお願いしました。

ただ、それによって生活全体が支えられていたわけではありません。
日々の暮らしの中で、ちょっとしたことを手伝う、様子を見て、「何か困っていないか」と気にかける。
必要なときには誰かに連絡する。

そうした、福祉サービスの項目にはなかなか表れない部分を含めて、実際の生活を支えてきた中心は、やはり家族でした。

ところが今回、その中でも特に大きな役割を担っていたご家族が病気で入院されました。
それまで何とか成り立っていた生活が、突然大きく揺らぐことになったのです。

今回のことで、私自身も改めて考えさせられたことがあります。

「いしずえ」には、サリドマイド被害者のための相談員制度があります。相談を受け、必要に応じて福祉事務所などにつなぎ、すでにある社会福祉の制度やサービスを活用しながら、問題を解決したり、負担を軽くしたりするための仕組みです。

もちろん、こうした制度はとても大切です。

ただ、今回のようなケースでは、電話で話を聞くだけでは分からないことがたくさんあります。

本人が「大丈夫」と言っていても、実際に家に行ってみなければ分からないことがあります。

食事はきちんとできているのか。
身の回りのことは本当にできているのか。
困ったとき、自分から助けを求めることができるのか。
そして何より、本人だけではなく、その人の生活を支えてきた家族全体が、すでに支えきれない状態になっていないか。

今回、私が強く感じているのは、まさにそこです。

これまで家族が担ってきたものは、「入浴介助」や「家事援助」といった、福祉サービスの項目だけでは表せないものだったのだと思います。

「何か変だな」と気づくこと。
「困ってない?」と声をかけること。
必要なら誰かに連絡すること。
本人が言葉にできていない困りごとを見つけること。

家族は、そういうことを毎日の暮らしの中で自然にやってきました。その家族が突然支えられなくなったとき、その部分を誰が担うのでしょうか。

今回のことは、一人のサリドマイド被害者だけに起きた特殊な問題ではないと思います。

私たちサリドマイド被害者も高齢になってきました。同じように、これまで生活を支えてきた親やきょうだいも、同じように年を重ねています。

本人が年を取る。
家族も年を取る。
そして、ある日突然、支える側が病気になったり、支えられなくなったりします。

これから同じようなことは、ほかの人にも起きる可能性があります。

だからこそ、何かが起きてから電話で相談を受け、既存の制度につなぐという仕組みだけで十分なのか、考える必要があるのではないでしょうか。

必要なときには実際にその人の暮らしを見に行く。
本人だけを見るのではなく、その人を支えている家族を含めた「暮らし全体」を見る。
そして、今何が必要なのかを一緒に考える。
そういう仕組みも、これからは必要なのではないかと思います。

今回のことを通して、サリドマイド被害者が高齢期を迎える中で、私たちが考えなければならない新しい課題の一つが、はっきりと見えてきたように感じています。


増山 ゆかり