新たな二つの課題

8月に北海道を訪れ、昌也くんをはじめ、サリドマイドの仲間たちと会ってきました。

今どのような生活をしているのか、体の具合はどうなのか。いろいろな話をしながら、一緒にお風呂に入ったり、のんびり過ごしたりする時間も持つことができました。

ただ、そのときに会った友人の一人の体調が、どうしても気になっていました。

そこで、もともとの予定にはなかったのですが、「もう一度、様子を確かめに行こう」と思い、9月に入って再び北海道へ行き、つい数日前に戻ってきました。

実は、私が訪ねる前に、その友人は体調を崩して倒れ、ご家族によって病院へ運ばれていました。

私は今回初めて、その友人が以前から心臓に問題を抱えていたことを知りました。8月に会ったときには、体調が悪そうなことと心臓の問題が結びついているとは、まったく考えていませんでした。受診に繋げられず非常に悔やんでいます。

(病状は個人情報に係る内容ですが、サリドマイドの人に注意換気をしたいと思いますので、病状について触れさせていただきました。)

サリドマイド被害者が年齢を重ねる中で、どのような健康上の問題が起きているのかについては、まだ十分に分かっていないことが多くあります。

私自身も心臓にあながあいていて(中核欠損)、幼少期は大人になるのは難しいと言われていました。サリドマイドの仲間との交流の中では、心臓について何らかの問題を指摘されたという話を聞くことがあります。不整脈がある、心臓に雑音があるなど、その内容はさまざまです。

もちろん、こうした問題がサリドマイドと関係しているのか、また、どのくらいの人に起きているのかについて、今ここでお示しできる十分なデータがあるわけではありません。

データが少ない希少疾病の患者さんたちにとって、異常が起きた時の情報の蓄積がない、というよくあるあるの問題です。

そして今回、もう一つ大きな課題だと感じたことがあります。

それは、私たち自身が、自分の身体や健康状態について医療者にきちんと伝えることの難しさです。

例えば病院で「私たちの身体は一般的な人とは少し違います」と伝えても、それでは具体的に何がどう違うのか、どんなことに注意してほしいのかを、その場ですぐに説明できる自信はありません。

まして具合が悪いときに、自分の状態を整理して説明し、必要な助けを求めることは簡単ではありません。

急に背中が痛くなった、足がしびれて歩けなくなった、歯科治療の際に麻酔が利きにくいなど、普通の人たちとは違う症状があります。そんな症状が起きたとき、それがこれまでの身体の状態とどう関係しているのか、何を心配しているのかを本人自身もうまく説明できないことがあります。

今回の経験から、二つの仕組みが必要なのではないかと感じました。

一つは、本人と医療機関との間に入り、本人の状況を整理したり、必要に応じて医療機関への説明を手伝ったり、適切な医療につなげたりすることのできる「人」の存在です。

もう一つは、自分の身体の特徴やこれまでの健康上の問題、医療者に知っておいてほしいことなどを、必要なときにきちんと伝えられるようにしておく「情報」の仕組みです。

具合が悪くなってから、すべてを本人が一から説明しなければならないのではなく、必要な情報をあらかじめ整理しておき、それを医療者に伝えられる方法があれば、本人にとっても医療者にとっても大きな助けになるのではないかと思います。

サリドマイド被害者の健康問題については、何が起きているのかを調べることはもちろん重要です。しかし、それと同時に、実際に一人ひとりが病気になったときに、必要な医療へどうつなげていくのかということも、これから考えていかなければならない課題だと思います。

10月には、オランダ・エグモントでサリドマイドの国際会議が開かれます。

世界各国の仲間たちが、こうした問題にどのように取り組んでいるのかも聞いてみたいと思っています。そして日本に持ち帰り、私たちにどのような仕組みが必要なのかを具体的に考えていきたいと思います。

経費のご報告

皆様からご寄付いただいたお金は、大切に使わせていただきます。心より感謝いたします。

渡航代金など4,077,650円を決済いたしました。内訳は申込金880,000円を含みますので、今回は申込金を差し引いた3,197,650円を決済いたしました。

ホテル代と朝食代9883.8EUR、昼食と夕食代(参加費など)2800EURについては、正式な請求書がきましたら決済いたします。

滞在費はおおよそ1,800,000+510,000円+手数料で、ほぼ2,350,000円を予定しています。

現地の交通費(タクシーチャーター代)、通訳/マネジメント代で1,000,000円を見込んでいます。

現時点での費用の合計で7,427,680円になります。

北海道に心配しているサリドマイドの仲間がいる

北海道に、今とても心配しているサリドマイド被害者の仲間がいます。
個人のことなので詳しく書くことはできませんが、障害がかなり重く、これまで日常生活の多くを家族に支えてもらいながら暮らしてきた方です。

昨年頃からは週に2回ほどヘルパーさんにも来ていただき、入浴介助など、家族だけでは負担の大きい部分については福祉サービスを利用するようになっていました。前回の訪問の時に、自立生活が困難になってきていることをいしずえに告げ、ヘルパーさんに繋げるようお願いしました。

ただ、それによって生活全体が支えられていたわけではありません。
日々の暮らしの中で、ちょっとしたことを手伝う、様子を見て、「何か困っていないか」と気にかける。
必要なときには誰かに連絡する。

そうした、福祉サービスの項目にはなかなか表れない部分を含めて、実際の生活を支えてきた中心は、やはり家族でした。

ところが今回、その中でも特に大きな役割を担っていたご家族が病気で入院されました。
それまで何とか成り立っていた生活が、突然大きく揺らぐことになったのです。

今回のことで、私自身も改めて考えさせられたことがあります。

「いしずえ」には、サリドマイド被害者のための相談員制度があります。相談を受け、必要に応じて福祉事務所などにつなぎ、すでにある社会福祉の制度やサービスを活用しながら、問題を解決したり、負担を軽くしたりするための仕組みです。

もちろん、こうした制度はとても大切です。

ただ、今回のようなケースでは、電話で話を聞くだけでは分からないことがたくさんあります。

本人が「大丈夫」と言っていても、実際に家に行ってみなければ分からないことがあります。

食事はきちんとできているのか。
身の回りのことは本当にできているのか。
困ったとき、自分から助けを求めることができるのか。
そして何より、本人だけではなく、その人の生活を支えてきた家族全体が、すでに支えきれない状態になっていないか。

今回、私が強く感じているのは、まさにそこです。

これまで家族が担ってきたものは、「入浴介助」や「家事援助」といった、福祉サービスの項目だけでは表せないものだったのだと思います。

「何か変だな」と気づくこと。
「困ってない?」と声をかけること。
必要なら誰かに連絡すること。
本人が言葉にできていない困りごとを見つけること。

家族は、そういうことを毎日の暮らしの中で自然にやってきました。その家族が突然支えられなくなったとき、その部分を誰が担うのでしょうか。

今回のことは、一人のサリドマイド被害者だけに起きた特殊な問題ではないと思います。

私たちサリドマイド被害者も高齢になってきました。同じように、これまで生活を支えてきた親やきょうだいも、同じように年を重ねています。

本人が年を取る。
家族も年を取る。
そして、ある日突然、支える側が病気になったり、支えられなくなったりします。

これから同じようなことは、ほかの人にも起きる可能性があります。

だからこそ、何かが起きてから電話で相談を受け、既存の制度につなぐという仕組みだけで十分なのか、考える必要があるのではないでしょうか。

必要なときには実際にその人の暮らしを見に行く。
本人だけを見るのではなく、その人を支えている家族を含めた「暮らし全体」を見る。
そして、今何が必要なのかを一緒に考える。
そういう仕組みも、これからは必要なのではないかと思います。

今回のことを通して、サリドマイド被害者が高齢期を迎える中で、私たちが考えなければならない新しい課題の一つが、はっきりと見えてきたように感じています。


増山 ゆかり

薬害被害者を誰が診るのか?

8月22日の日本薬学教育学会大会でお話ししました。

日本薬学教育学会大会で30分のお時間をいただき、スピーチをさせていただきました。

会場が大阪医科薬科大学ということもあり、当初は学生さんが多く参加されるのかなと思い、これから薬剤師を目指す学生さんに向けた内容を準備していました。

薬学教育に携わっている先生方などが多く参加されていましたので、直前になって少し内容を変更しました。そのため、当初準備していたものとは少し体裁を変えたスピーチになりました。

今回、私が強く問題提起したかったのは、

「薬によって回復困難な健康被害が起きたとき、薬剤師をはじめとする医療者は、その患者にどこまで関わるのか」

ということです。

薬剤師の仕事は、患者が薬を飲むまでなのでしょうか。

薬を飲んだあと、副作用が出ているかどうかを確認するところまでなのでしょうか。

では、実際に重大な副作用や健康被害が起き、その影響がその後も残ってしまったら、医療はその患者にどう関わるのでしょうか。

サリドマイドがそうであるように、薬の影響によって身体に障害や回復困難な健康被害が残り、その後の人生をその影響とともに生きていかなければならない人たちがいます。

そして、これはサリドマイドだけの問題ではありません。

これまで日本で起きたさまざまな薬害では、多くの人が命を失い、また命は助かっても、薬による健康被害や障害、後遺症などを抱えながら、その後の長い人生を生きてきた人たちがいます。

薬害は、原因となった薬の使用を中止したときに終わるわけではありません。被害を受けた人にとっては、そこから先にも人生があります。

ところが、薬によって身体に大きな影響を受けた人の場合、その後に現れる健康問題が、既存の病気の枠組みでは十分に捉えられないことがあります。

誰が診るのか。

どの診療科が受け止めるのか。

医師や薬剤師をはじめとする医療者が、どのように連携して支えるのか。

そして国は、どのような診療体制を整えるのか。

私は、こうした「薬害のその後」を支える医療の仕組みが十分につくられていないこと自体が、現在の大きな問題であると指摘しました。

医療の現場では、薬を使う前には、安全性や有効性について検討し、患者の状態を確認し、リスクをできるだけ適切に管理するためのさまざまな対策が講じられています。薬剤師も、薬の専門家としてその重要な役割を担っています。

それならば、実際に薬によって回復困難な健康被害が生じた後についても、医療は正面から向き合うべきです。

薬を中止したら終わりではありません。

副作用を報告したら終わりでもありません。

被害を受けた患者の人生は、その後も続きます。

薬剤師はどこまで関わるのか。医師はどこまで関わるのか。医療全体としてどう支えるのか。そして、一つの医療機関だけでは対応できない問題について、国はどのような仕組みをつくるのか。

そこまで含めて、薬による健康被害に対する医療の責任として考え、実際の仕組みにつなげていく必要がある。

22日は、薬害の当事者として、そのことを薬学教育に携わる皆さんにお伝えしました。

薬害は、過去の事件ではありません。

被害を受けた人が生きている限り、その人の身体と人生の中では続いています。

だからこそ、「薬の安全性」や「患者に寄り添う医療」を語るのであれば、薬を使う前の安全対策だけではなく、薬によって人生を大きく変えられた人たちの「その後」を、医療がどう支えていくのか。

そこまでを医療の問題として、きちんと向き合ってほしい。

今回のスピーチでは、そのことを強くお話ししました。

Nらじ放送内容文字起こし

NHKラジオの番組「Nらじ」の「ニュースのしゃべり場」<九月二日(火)18:08より>にて放送された内容を以下に文字起こししました。

山本 未果:
今日のニュースアップ、再び声を上げ始めたサリドマイド薬害の被害者についてお伝えします。石井さんはサリドマイドという薬、知ってますか?

石井 智也:
はい。薬害があったというのは知っているんですけれども、改めてどんな薬で、どんな経緯だったんでしょうか。

山本:
若い人はね、詳しく知らない人も少なくないと思いますけれども、戦後の経済成長期だったおよそ60年前、旧西ドイツの製薬会社が開発したサリドマイドは、妊婦がつわりを和らげる薬などとして各国で服用され、手や足、耳などに重い障害を負った赤ちゃんが相次いで生まれました。

海外で回収が始まりましたけれども、日本ではその対応が遅れ、その後も被害が拡大しました。被害者が相次いで民事訴訟を起こし、10年余りを経て、最終的に国と製薬会社が責任を認めて和解しました。

石井:
日本国内ではどのくらいの人に被害が及んだのでしょうか。

山本:
309人が被害者として認定されて、そのうち現在も生存しているのは250人ほどなんですけれども、多くが60代に差し掛かっています。

6月、都内で被害者やその支援者などが集まったシンポジウムが開かれました。主催したのは増山ゆかりさん。62歳です。母親が妊娠中にサリドマイドを服用し、両腕が短い状態で生まれました。(シンポジウム)冒頭での挨拶です。

増山 ゆかり:
被害者の人たちが、やっぱり今もう60年以上も前の事件なので、多くの人はね、終わった事件だと思っていらっしゃるけれども、まあ、そんなことないよと。私たちは今も生きているし、今も苦しんでいるんだっていうことをね、まあ、社会の世界にですね、訴えたいたいということになります。

石井:
はい。今も終わってない、今も苦しんでいるんだという切実な言葉がありましたね。具体的にどういうことを挙げていらっしゃるんでしょうか。

山本:
皆さん、年齢を重ねて健康や生活への影響が深刻になっているということなんです。健康面では、長年、手の代わりに足を使うなど、体を酷使したことによる不調が出てきた人が少なくありません。また障害は心臓の疾患や聴覚など人それぞれなんですけれども、内臓ですとか骨格にも健常者とは異なる点があることがその後だんだんわかってきて治療が難しいなど影響が出てきているんです。

石井:
増山さんは、今こうしたシンポジウムや介護を開いたのはどういう思いからなんでしょうか。

山本:
世界でもサリドマイドの被害に改めて向き合おうという動きがあるからなんです。去年、増山さんは被害者が3000人と世界で最も多いドイツを訪問しました。ドイツでは近年、改めてサリドマイドの薬害への補償の見直しが行われたんです。個々の状態に合わせた治療やリハビリを受けられる医療プログラムも用意されているということなんです。

さらに、増山さんにとって印象深かったのは、当事者の人たちが健康でより良い生活を送れるよう自ら声を上げ続けたことで、国の政策決定ですとか、社会の価値観を動かすきっかけになったということだったんです。そこで残りの人生、安心して送っていくために何ができるのか、共に考えたいという思いから国内外の被害者や支援者とつながるグループを立ち上げて活動を始めることにしたんです。

増山:
対応が遅れることによって命を失う人が出てきかねないという今ね、非常に緊張感のある状況にあるっていうことで、とにかく,これからのことを考えて欲しいと。どうやったらその充分に手当てされていない人たちにどうやって社会が理解を示して、またその国や製薬会社はそれに対してね、どんな風に対応してくれるのかっていうことを改めて問いたいというところだと思っています。

山本:
開催にあたって、増山さんは北海道から九州まで全国を回って、多くの被害者から聞き取りを行って、その証言を会で紹介しました。その一部をお聞きください。

増山:
今、昌也さんのその体の不調はどんな状態でしょうか

市川 昌也:
まあ、手術はあってもリスクが伴うわけだから、できる限り、今の状況を維持しましょうという感じです。

山本:
北海道に住む市川昌也さんは両腕がほとんどなく生まれ、現在はヘルニアに加えて糖尿病のため人工透析を行っています。

石井:
深刻な状況ということなんですね。

山本:
はい、そうですね。インタビューは現在の体の状況だけではなく、その生い立ちにも及びました。市川さんは生後すぐに乳児院の前に置き去りにされたといいます。

増山:
昌也くんはどんなことに一番やっぱり憤りというか、なんかこう自分がサリドマイトに生まれたことに何を感じています。

市川:
なんだろう、そのサリドマイドになったことで,例えば自分の家族がばらけたし、多分普通に生きていけば味わわないでよかったよっていうか、その苦しみを味わってきたわけじゃない、結果的にね。で、そのことはやっぱり理不尽だと思うし。

増山:
何を支えに頑張りました。

市川:
最初は憎しみだよね。でいつかなんとかして仕返ししてやるっていうだからそのために生きなきゃダメだって思うわけじゃん。

増山:
それは例えば親に対してであり社会に対して、

市川:
全部だよ。

増山:
全部だよね。今はどうですか。

市川:
今はもうねどうでもいいやって感じ。

石井:
理不尽な苦しみや憎しみを感じたと。当事者としての偽らざる思いでしょうね。本当に重い言葉ですね。

山本:
そうですね。増山さんがおこなった数多くのインタビューは、それぞれがこれまでの人生を振り返るものになりました。

増山:
初めて聞く話がすごく多くて、聞いていてですね、本当にすいませんね、なんかちょっと涙出ちゃうんですけれども、こう、なんでここまでね、皆さんがね、本当によくぞ頑張ってくれたと、よくぞね、生き延びてくれたっていう、そんな気持ちで聞いてました。

山本:
増山さんは、この皆さんのことを生き延びた人たち、サバイバーと呼んでいましたけれども、そのもう一人、山口市に住む中野 寿子さんのもとも訪ねました。中野さんは両腕と両足が短く生まれました。小中学校には通わず、家で絵を描いたり読書をしたりして過ごしました。

中野 寿子:
13歳になって初めて車椅子買ってもらったんですね。それまで本当に家が出てなくって、私が親に車椅子。もし外に出たいって言ったら、親の第一声は危ないだったですね。外に出て、私が人から見られることがどんなにね、大変なことかっていうのも多分予想したからでしょうけどね。

山本:
増山さんは中野さんにサリドマイドの被害がなかったらどんな人生だったと思うかと問いかけました。

増山:
あのサリドマイドに生まれなかったらどうって聞かれることも、私もたまにあって。

中野:
ああ、想像しますね。もしあのサリドマイドじゃなくて、普通に生まれてたらどうだったんだろうと。私もあの若い頃はよく想像しました。もしそうだったら、私、その障害がある人のこととか福祉とか、全然興味持たなかったんじゃないかなって思います。他に楽しいこといっぱい見つけちゃってね。全然違う視点を持つ全然違う人間になったんだろうなって。人間性が根本からきっと手足があるかないかで違う人生になってたんじゃないかなっていうのは思いましたね。どっちがいい悪いはわからない。

石井:
このやりとり、当事者同士だからこその本音のやりとりという感じしますね。

山本:
はい。私もそう思いました。声を上げて社会に訴える取り組みを始めると、増山さんから聞いてどう思ったのか、先週、中野さんから話を聞いてきました。最初はやはり戸惑いの気持ちもあったといいます。

中野:
もうずっと諦めてきましたからね。今回増山さんに誘っていただくまで。こういうもんだと思って我慢して生きていくしかないなと思ってましたけど。でも今回この活動に関わらせてもらって、これが今後どういう風に実を結ぶかは分かりませんけども、改めてちょっと怒ってもいいのかなっていう感じですかね、今のところ私は。

山本:
中野さんは外出時には電動車椅子に乗り換えますが、体が痛く辛くなってきたといいます。医師の診察を受けても原因が分からないと言われて根本的な治療はできていません。その他、生活でも様々制約がありますが、それもすべて受け入れてきたといいます。

しかし、増山さんの思いに触れて改めて自分の人生を振り返るとともに、日本で昔こんな薬害があったことを若い人たちにも知ってほしいと考えるようになりました。

中野:
特にだからってね、私はここで「不便な思いをしたんだ」「なんだこれは理不尽じゃないか」とか「差別だ」とか言ったことないしね。言っても疲れるじゃないですか、余計にね。まあでもそういうことを、そういう一つ一つの細かいことがいっぱいある中を60年生きてきたんですっていうののもう雰囲気、上辺だけでいいからなんかこうせっかく増山さんが始めたことだから世間にねもう一回知ってもらう場があってもいいのかな。まずはサリドマイドという事件があったということを知らない人には知ってほしいし忘れてる人には思い出してほしいし。

山本:
中野さんは,増山さんの活動に寄り添い、見守っていきたいと考えているといいます。

石井:
一緒に声を上げていくということをまず決めたということなんですね。

山本:
はい、そうですね。増山さんも今回多くの人に話を聞いて、活動への思いを一層強くしたということです。

増山:
やっぱり今、私たちが抱えている問題って、明日、明後日どうにかできることではないですし。もしかしたら自分たちが生きている間にこういった、その健康問題であるとかね、本当にこう一人で頑張ってきた人たちが生まれてよかった、生きてよかったと言ってもらえるような人生になるかっていうと、そうじゃないかもしれないけれども、でも少なくても今は自分一人じゃないっていうことを知ることができた、それだけでもすごく私は嬉しいなと思いました。

石井:
リスナーの皆さんからのメッセージいただいていまして、Xでは、「患者さんは私と同世代だけど障害を持って生まれたことで捨てられたのまだそんな時代だったのか」といったものですとか、投稿フォームからは、「日本でもこんなに苦しんでおられる方がいるとは初めて知りました。様々な届く声に熱いものを覚えて言葉がありません」といただいています。増山さん、今後は予定どうなっているんでしょうか。

山本:
増山さんですけれども、来月中旬にはドイツ、台湾から当事者を招いて交流して、実際にどのように補償の見直しが進められているのか、話を聞くシンポジウムを開くことを決めています。今後は医療ですとか生活支援の体制拡充を日本でもどう社会に求めていくか議論していきたいということです。

増山:
日本の中の私たち被害者がスタートラインに立ってほしいと。どんな被害で、こんな理不尽のね、自分たちがやっぱり声を上げることでね、同じ問題を抱えている人たちにもね、その自分たちが我慢すればいいというふうに思わずに、やっぱり立ち上がってほしいっていう声を上げることの大切さを実感してほしいというふうに思っています。

石井:
リスナーの方、Xからこのような投稿もありました。「小学校の頃、テレビで『典子は、今』を見てサリドマイド患者の存在を知りました。サリドマイド当事者や支援者の戦いが今でも現在進行形であることを知りました。サリドマイドで生まれなければどう生きていたか、この言葉にずっしりときました」といただきました。

山本:
まさに現在進行形の問題だということで、私たちもこう何ができるのかということを、あの、改めて考えたいというふうに思いました。以上、ニュースアップでした。

今なぜ私たちは声を上げるのか?

子どもの頃は命に関わるくらい体調が悪く、熱を出して寝込むことも多かったのですが、先天異常の体で生まれたのだから、運命と思い受け入れようと思いました。なぜそのようなことができたかと言うと、私の入院していた国立小児病院では、大勢の幼い患者さんたちが、日々辛い病気と戦っていました。人は命を選べないですし、自分を卑下すれば差別する人と一緒になる、どんな自分であっても大事にしたい、三本指の小さな手を否定したくないと、子どもながら思っていました。

できなかったことをひとつひとつ乗り越え、思っていた以上に愉快な人生を送ってきました。しかし、30歳を過ぎたあたりから、よく外出中に貧血のような症状で動けなくなりました。まわりのサリドマイドの仲間の、体調不良を訴える声が聞こえてくるようになりました。歳を重ねて無理ができなくなったのかと思っていましたが、乳がんを患い手術をし、腕の可動域は半分になりました。

「やはり普通の体ではないからか?」と思っていた矢先に、あちこちから悲鳴があがるのを、聞くようになりました。治療を断念するしかないのかも、と言う声が聞こえても、いやいや誰かに人生を代わってもらうことはできないと、ただただ歯を食いしばる以外の選択肢はないと思っていました。

この10年くらいでしょうか。仲間が病気で亡くなり始めました。309人いたサリドマイドは、もうすでに250人を切る勢いで減っています。助けをもとめなくてはいけない、いや、自分たちで動かなくては間に合わないと思い、気がつけばサリドマイドが一番多いドイツ行きの飛行機に乗っていました。何か手掛かりがあるかもしれないと。何も知らずに行った私は、驚くことばかりでした。姿も見えないくらい先を歩くドイツのサリドマイドから多くの学びがありました。とても印象的だったのは、クラウスさんの「自分の人生を取り戻したい」でした。私は自分の人生は尊厳のある人生だと思っていました。しかし、私は生きたいように生きていませんでした。この世界の片隅に、私が心の底から笑える場所などありませんでした。日本のサリドマイドの仲間と話していると、正直に言うと胸をえぐられるように感じています。

生まれてすぐ病院の前に置き去りにされた、

障害を理由に里親に出された

幼少期は家の外を出ることが許されなかった、

教育を受けられなかった、

病気になって十分に治療ができなかった、

施設で育ち、家族と一緒に暮らせなかった、

誕生日を祝ってもらったことがなかった、

食べたいものを食べると言う習慣がなかった、

傘がさせないので雨の日は雨に打たれて歩いていた、

幸せを望むなんて贅沢だと思った、

こんな自分が生きていて良いのか悩んだ、

なぜ、私たちはこんなことを受け入れるんだろう。こんな理不尽が許されるのだろうか? これまでの困難は、個人が乗り越える限界を超えていたのではないだろうか?

もちろん、なに不自由なく生きてきたと、胸を張って良い人生だったという人もいます。でも、そうじゃない人も多くいました。どう生きれば正解だったのでしょうか? 今は「なんのために生まれ、どう生きていくのか」が私のテーマです。生きていることを愛しく思いたいんです。