Nらじ放送内容文字起こし

NHKラジオの番組「Nらじ」の「ニュースのしゃべり場」<九月二日(火)18:08より>にて放送された内容を以下に文字起こししました。

山本 未果:
今日のニュースアップ、再び声を上げ始めたサリドマイド薬害の被害者についてお伝えします。石井さんはサリドマイドという薬、知ってますか?

石井 智也:
はい。薬害があったというのは知っているんですけれども、改めてどんな薬で、どんな経緯だったんでしょうか。

山本:
若い人はね、詳しく知らない人も少なくないと思いますけれども、戦後の経済成長期だったおよそ60年前、旧西ドイツの製薬会社が開発したサリドマイドは、妊婦がつわりを和らげる薬などとして各国で服用され、手や足、耳などに重い障害を負った赤ちゃんが相次いで生まれました。

海外で回収が始まりましたけれども、日本ではその対応が遅れ、その後も被害が拡大しました。被害者が相次いで民事訴訟を起こし、10年余りを経て、最終的に国と製薬会社が責任を認めて和解しました。

石井:
日本国内ではどのくらいの人に被害が及んだのでしょうか。

山本:
309人が被害者として認定されて、そのうち現在も生存しているのは250人ほどなんですけれども、多くが60代に差し掛かっています。

6月、都内で被害者やその支援者などが集まったシンポジウムが開かれました。主催したのは増山ゆかりさん。62歳です。母親が妊娠中にサリドマイドを服用し、両腕が短い状態で生まれました。(シンポジウム)冒頭での挨拶です。

増山 ゆかり:
被害者の人たちが、やっぱり今もう60年以上も前の事件なので、多くの人はね、終わった事件だと思っていらっしゃるけれども、まあ、そんなことないよと。私たちは今も生きているし、今も苦しんでいるんだっていうことをね、まあ、社会の世界にですね、訴えたいたいということになります。

石井:
はい。今も終わってない、今も苦しんでいるんだという切実な言葉がありましたね。具体的にどういうことを挙げていらっしゃるんでしょうか。

山本:
皆さん、年齢を重ねて健康や生活への影響が深刻になっているということなんです。健康面では、長年、手の代わりに足を使うなど、体を酷使したことによる不調が出てきた人が少なくありません。また障害は心臓の疾患や聴覚など人それぞれなんですけれども、内臓ですとか骨格にも健常者とは異なる点があることがその後だんだんわかってきて治療が難しいなど影響が出てきているんです。

石井:
増山さんは、今こうしたシンポジウムや介護を開いたのはどういう思いからなんでしょうか。

山本:
世界でもサリドマイドの被害に改めて向き合おうという動きがあるからなんです。去年、増山さんは被害者が3000人と世界で最も多いドイツを訪問しました。ドイツでは近年、改めてサリドマイドの薬害への補償の見直しが行われたんです。個々の状態に合わせた治療やリハビリを受けられる医療プログラムも用意されているということなんです。

さらに、増山さんにとって印象深かったのは、当事者の人たちが健康でより良い生活を送れるよう自ら声を上げ続けたことで、国の政策決定ですとか、社会の価値観を動かすきっかけになったということだったんです。そこで残りの人生、安心して送っていくために何ができるのか、共に考えたいという思いから国内外の被害者や支援者とつながるグループを立ち上げて活動を始めることにしたんです。

増山:
対応が遅れることによって命を失う人が出てきかねないという今ね、非常に緊張感のある状況にあるっていうことで、とにかく,これからのことを考えて欲しいと。どうやったらその充分に手当てされていない人たちにどうやって社会が理解を示して、またその国や製薬会社はそれに対してね、どんな風に対応してくれるのかっていうことを改めて問いたいというところだと思っています。

山本:
開催にあたって、増山さんは北海道から九州まで全国を回って、多くの被害者から聞き取りを行って、その証言を会で紹介しました。その一部をお聞きください。

増山:
今、昌也さんのその体の不調はどんな状態でしょうか

市川 昌也:
まあ、手術はあってもリスクが伴うわけだから、できる限り、今の状況を維持しましょうという感じです。

山本:
北海道に住む市川昌也さんは両腕がほとんどなく生まれ、現在はヘルニアに加えて糖尿病のため人工透析を行っています。

石井:
深刻な状況ということなんですね。

山本:
はい、そうですね。インタビューは現在の体の状況だけではなく、その生い立ちにも及びました。市川さんは生後すぐに乳児院の前に置き去りにされたといいます。

増山:
昌也くんはどんなことに一番やっぱり憤りというか、なんかこう自分がサリドマイトに生まれたことに何を感じています。

市川:
なんだろう、そのサリドマイドになったことで,例えば自分の家族がばらけたし、多分普通に生きていけば味わわないでよかったよっていうか、その苦しみを味わってきたわけじゃない、結果的にね。で、そのことはやっぱり理不尽だと思うし。

増山:
何を支えに頑張りました。

市川:
最初は憎しみだよね。でいつかなんとかして仕返ししてやるっていうだからそのために生きなきゃダメだって思うわけじゃん。

増山:
それは例えば親に対してであり社会に対して、

市川:
全部だよ。

増山:
全部だよね。今はどうですか。

市川:
今はもうねどうでもいいやって感じ。

石井:
理不尽な苦しみや憎しみを感じたと。当事者としての偽らざる思いでしょうね。本当に重い言葉ですね。

山本:
そうですね。増山さんがおこなった数多くのインタビューは、それぞれがこれまでの人生を振り返るものになりました。

増山:
初めて聞く話がすごく多くて、聞いていてですね、本当にすいませんね、なんかちょっと涙出ちゃうんですけれども、こう、なんでここまでね、皆さんがね、本当によくぞ頑張ってくれたと、よくぞね、生き延びてくれたっていう、そんな気持ちで聞いてました。

山本:
増山さんは、この皆さんのことを生き延びた人たち、サバイバーと呼んでいましたけれども、そのもう一人、山口市に住む中野 寿子さんのもとも訪ねました。中野さんは両腕と両足が短く生まれました。小中学校には通わず、家で絵を描いたり読書をしたりして過ごしました。

中野 寿子:
13歳になって初めて車椅子買ってもらったんですね。それまで本当に家が出てなくって、私が親に車椅子。もし外に出たいって言ったら、親の第一声は危ないだったですね。外に出て、私が人から見られることがどんなにね、大変なことかっていうのも多分予想したからでしょうけどね。

山本:
増山さんは中野さんにサリドマイドの被害がなかったらどんな人生だったと思うかと問いかけました。

増山:
あのサリドマイドに生まれなかったらどうって聞かれることも、私もたまにあって。

中野:
ああ、想像しますね。もしあのサリドマイドじゃなくて、普通に生まれてたらどうだったんだろうと。私もあの若い頃はよく想像しました。もしそうだったら、私、その障害がある人のこととか福祉とか、全然興味持たなかったんじゃないかなって思います。他に楽しいこといっぱい見つけちゃってね。全然違う視点を持つ全然違う人間になったんだろうなって。人間性が根本からきっと手足があるかないかで違う人生になってたんじゃないかなっていうのは思いましたね。どっちがいい悪いはわからない。

石井:
このやりとり、当事者同士だからこその本音のやりとりという感じしますね。

山本:
はい。私もそう思いました。声を上げて社会に訴える取り組みを始めると、増山さんから聞いてどう思ったのか、先週、中野さんから話を聞いてきました。最初はやはり戸惑いの気持ちもあったといいます。

中野:
もうずっと諦めてきましたからね。今回増山さんに誘っていただくまで。こういうもんだと思って我慢して生きていくしかないなと思ってましたけど。でも今回この活動に関わらせてもらって、これが今後どういう風に実を結ぶかは分かりませんけども、改めてちょっと怒ってもいいのかなっていう感じですかね、今のところ私は。

山本:
中野さんは外出時には電動車椅子に乗り換えますが、体が痛く辛くなってきたといいます。医師の診察を受けても原因が分からないと言われて根本的な治療はできていません。その他、生活でも様々制約がありますが、それもすべて受け入れてきたといいます。

しかし、増山さんの思いに触れて改めて自分の人生を振り返るとともに、日本で昔こんな薬害があったことを若い人たちにも知ってほしいと考えるようになりました。

中野:
特にだからってね、私はここで「不便な思いをしたんだ」「なんだこれは理不尽じゃないか」とか「差別だ」とか言ったことないしね。言っても疲れるじゃないですか、余計にね。まあでもそういうことを、そういう一つ一つの細かいことがいっぱいある中を60年生きてきたんですっていうののもう雰囲気、上辺だけでいいからなんかこうせっかく増山さんが始めたことだから世間にねもう一回知ってもらう場があってもいいのかな。まずはサリドマイドという事件があったということを知らない人には知ってほしいし忘れてる人には思い出してほしいし。

山本:
中野さんは,増山さんの活動に寄り添い、見守っていきたいと考えているといいます。

石井:
一緒に声を上げていくということをまず決めたということなんですね。

山本:
はい、そうですね。増山さんも今回多くの人に話を聞いて、活動への思いを一層強くしたということです。

増山:
やっぱり今、私たちが抱えている問題って、明日、明後日どうにかできることではないですし。もしかしたら自分たちが生きている間にこういった、その健康問題であるとかね、本当にこう一人で頑張ってきた人たちが生まれてよかった、生きてよかったと言ってもらえるような人生になるかっていうと、そうじゃないかもしれないけれども、でも少なくても今は自分一人じゃないっていうことを知ることができた、それだけでもすごく私は嬉しいなと思いました。

石井:
リスナーの皆さんからのメッセージいただいていまして、Xでは、「患者さんは私と同世代だけど障害を持って生まれたことで捨てられたのまだそんな時代だったのか」といったものですとか、投稿フォームからは、「日本でもこんなに苦しんでおられる方がいるとは初めて知りました。様々な届く声に熱いものを覚えて言葉がありません」といただいています。増山さん、今後は予定どうなっているんでしょうか。

山本:
増山さんですけれども、来月中旬にはドイツ、台湾から当事者を招いて交流して、実際にどのように補償の見直しが進められているのか、話を聞くシンポジウムを開くことを決めています。今後は医療ですとか生活支援の体制拡充を日本でもどう社会に求めていくか議論していきたいということです。

増山:
日本の中の私たち被害者がスタートラインに立ってほしいと。どんな被害で、こんな理不尽のね、自分たちがやっぱり声を上げることでね、同じ問題を抱えている人たちにもね、その自分たちが我慢すればいいというふうに思わずに、やっぱり立ち上がってほしいっていう声を上げることの大切さを実感してほしいというふうに思っています。

石井:
リスナーの方、Xからこのような投稿もありました。「小学校の頃、テレビで『典子は、今』を見てサリドマイド患者の存在を知りました。サリドマイド当事者や支援者の戦いが今でも現在進行形であることを知りました。サリドマイドで生まれなければどう生きていたか、この言葉にずっしりときました」といただきました。

山本:
まさに現在進行形の問題だということで、私たちもこう何ができるのかということを、あの、改めて考えたいというふうに思いました。以上、ニュースアップでした。

今なぜ私たちは声を上げるのか?

子どもの頃は命に関わるくらい体調が悪く、熱を出して寝込むことも多かったのですが、先天異常の体で生まれたのだから、運命と思い受け入れようと思いました。なぜそのようなことができたかと言うと、私の入院していた国立小児病院では、大勢の幼い患者さんたちが、日々辛い病気と戦っていました。人は命を選べないですし、自分を卑下すれば差別する人と一緒になる、どんな自分であっても大事にしたい、三本指の小さな手を否定したくないと、子どもながら思っていました。

できなかったことをひとつひとつ乗り越え、思っていた以上に愉快な人生を送ってきました。しかし、30歳を過ぎたあたりから、よく外出中に貧血のような症状で動けなくなりました。まわりのサリドマイドの仲間の、体調不良を訴える声が聞こえてくるようになりました。歳を重ねて無理ができなくなったのかと思っていましたが、乳がんを患い手術をし、腕の可動域は半分になりました。

「やはり普通の体ではないからか?」と思っていた矢先に、あちこちから悲鳴があがるのを、聞くようになりました。治療を断念するしかないのかも、と言う声が聞こえても、いやいや誰かに人生を代わってもらうことはできないと、ただただ歯を食いしばる以外の選択肢はないと思っていました。

この10年くらいでしょうか。仲間が病気で亡くなり始めました。309人いたサリドマイドは、もうすでに250人を切る勢いで減っています。助けをもとめなくてはいけない、いや、自分たちで動かなくては間に合わないと思い、気がつけばサリドマイドが一番多いドイツ行きの飛行機に乗っていました。何か手掛かりがあるかもしれないと。何も知らずに行った私は、驚くことばかりでした。姿も見えないくらい先を歩くドイツのサリドマイドから多くの学びがありました。とても印象的だったのは、クラウスさんの「自分の人生を取り戻したい」でした。私は自分の人生は尊厳のある人生だと思っていました。しかし、私は生きたいように生きていませんでした。この世界の片隅に、私が心の底から笑える場所などありませんでした。日本のサリドマイドの仲間と話していると、正直に言うと胸をえぐられるように感じています。

生まれてすぐ病院の前に置き去りにされた、

障害を理由に里親に出された

幼少期は家の外を出ることが許されなかった、

教育を受けられなかった、

病気になって十分に治療ができなかった、

施設で育ち、家族と一緒に暮らせなかった、

誕生日を祝ってもらったことがなかった、

食べたいものを食べると言う習慣がなかった、

傘がさせないので雨の日は雨に打たれて歩いていた、

幸せを望むなんて贅沢だと思った、

こんな自分が生きていて良いのか悩んだ、

なぜ、私たちはこんなことを受け入れるんだろう。こんな理不尽が許されるのだろうか? これまでの困難は、個人が乗り越える限界を超えていたのではないだろうか?

もちろん、なに不自由なく生きてきたと、胸を張って良い人生だったという人もいます。でも、そうじゃない人も多くいました。どう生きれば正解だったのでしょうか? 今は「なんのために生まれ、どう生きていくのか」が私のテーマです。生きていることを愛しく思いたいんです。

奇跡への期待

プライベートで北海道に帰りました。フェリーに乗って車を積んでの帰郷でした。車を移動させながらサリドマイドの仲間と旅しました。

非常に印象に残っていることがあったので、書き留めたいと思います。

サリドマイドの現況を知れば知るほど、それぞれのバックグランドの違いなどから課題も異なり、問題を解決することへ困難を感じます。

確かに、「結婚している、していない」「子供がいる、子供がいない」「親がいる、親がいない/他界している」「経済的に困っている、困っていない」など、障害の重い軽いだけではない、様々な状況の違いがあります。

仲間と話していて、今後の自分たちの話になったときに「困っていない人に、困っている人との共感を求め協力してもらうことは、現実的ではないのではないか」という話が出ました。

私はサリドマイドの困窮する状況を理解してもらえば、サリドマイドの仲間もそうでない人たちからも、いずれ理解や協力が得られると思っていました。

しかし、私の考えは甘すぎるのかも知れません。

というのは、私はアメリカのカリフォルニア大学バークレー校で障害者の自立支援について学んだ経験がありますが、30年以上前のアメリカにおける障害者への理解/支援の状況に、2025年になっても日本はまだ追いついていないと感じています。

障害がある人が日本社会で生きていくことは困難が多く、障害の程度に関わらず生きにくさから脱却できていません。みな自分のことでせいいっぱいで、人のために頑張れと言われても、これ以上は頑張れないということなのでしょうか。

でも、私たち障害者はこれからどんどん間違いなく歳を重ねていくので、今より状況が良くなることはなく、いずれ私も自分で生きていくことはできなくなると思いました。誰かの手を借り生きることから、逃れられないのではないでしょうか?

結局、私はこの運動をやらないよりはやった方がいいに決まってる、そう思う次第です。

これまで頑張って生きてきた人々に奇跡の一つくらい起きても、いいのではないだろうかと思いました。

増山ゆかり

増山ゆかりさんの発言

サリドマイドシンポジウムにて

なんのために生まれ、なんのために生きるのか
増山 ゆかり

昨年の春、私は還暦を迎えたという区切りもあり、久し振りに故郷の北海道に帰りました。幼少期を施設で育った私の友人の多くは、私と同じサリドマイドです。未知の身体で生まれた私たちは大人になれないと言われ、経過観察の意味もあったのでしょうが、東京の施設に集められ治療や訓練を受けていました。苦しい時期を共に乗り越えた戦友のような存在です。

そのひとりが入院したと聞いて、お見舞いに行こうとしたことが帰郷のきっかけでもありました。ヘルニアの悪化で歩けなくなった友人の姿を見て、強い衝撃を受け言葉が出てきませんでした。足を使う私たちは、足が使えなくなると、自立した生活を送ることはできなくなります。これが自分たちの運命だと受け入れている友人のために、私は私のできることをしなくてはと思いました。なぜあらがおうとしなかったのだろうと自分に腹が立ちました。

サリドマイド被害者が多いドイツに行けば、なにか問題解決の手がかりがあるかもしれないと思い、気がつけばドイツ行きの飛行機の中でした。彼らは国や製薬会社と交渉し、十分に治療を受けるために年金の増額をし、病院にはサリドマイド外来が設置されるようになっていました。「新たに救済を受けたのではなく、自分たちの権利を行使しました。尊厳ある人生を取り戻したかった」と話してくれました。

私は日々の生活の中で、雨が降っても傘はさしません。傘はさせないので濡れて歩くだけです。ひとりで外食するときは、食べたいものを食べる習慣はありません。自分で食べられるものを食べています。洋服は着たい服ではなく、自分ひとりで着られる服を買います。

生まれたときは心臓が悪く、いつ死んでもおかしくないと言われました。 成長と共に体力がついて、今日があり明日がくるという人生を歩き出しました。そんなときに両親が離婚し家族はバラバラになり、あっという間にひとりぼっちになってしまいました。家族と暮らす経験がない人生でした。

また未知の身体で生まれるということは、想像以上に厄介なことでした。

いたるところに奇形や欠損があるために、病気をしても普通に治療ができません。例えば私の場合は顎に低形成があり、一本でも入れ歯は入れるのが難しいことがわかりました。ガンを患った時に、血管が細く造影剤や抗がん剤を使うことが難しかったのです。薬が作り出した未知の体は、人類にとって初めての体であり、これまで人類が蓄積してきた医療技術の、恩恵を授かることはできません。

ある朝、私は突然起き上がれなくなりました。これは何度か繰り返される症状です。首から背中にかけて激しい痛みに襲われ、呼吸をすることもやっとの状態になりました。夫に抱えられ病院に行き検査をしましたが、結局どこからくる痛みかわからず、治療はできないと湿布薬を渡され帰されました。一ヶ月ほど寝たきりになり、徐々に痛みがなくなり、ようやく元の生活に戻っていきました。どんな体なのか研究され尽くしていない私たちですので、今の状況では病気になっても治療方法は永遠に手に入りません。

誰にとっても完璧な人生はないし、嘆いたところで現実は変わるわけではないので、みな「苦しいのは自分だけではない」と言い聞かせ、スポーツを楽しめなくても、趣味を楽しめなくても、治療ができない体でも、不平不満も言わず今日まで来ました。諦めることを「よし」とする生き方は潔く、ある種の美しさがあります。私の幸せのありようを表してはいるように思うのです。自分が生きたいように生きてきたのかというとそうではありません。ときどき誰かに詫びたい気持ちになりました。いったい誰に何を詫びればいいのかわかりませんでしたが。

いま、私が思うことは私たちの問題は別の誰かの問題であり、特殊な状況にある自分たちが我慢さえすれば良い、ではないのだということです。この問題を改善することは、誰かの明日の生きるにつながっていると思います。

堂々と風を切って生きたい

以前にヨーロッパで開かれていた、サリドマイド国際会議に何度も出席しました。世界中からサリドマイドが集まり、それはそれは壮大なイベントでした。ドレスアップして、Welcome partyで踊って歌い、パラグライダーに初めて乗って、ドライバーと格闘しながらゴルフもして、山盛りの貝を食べて、初めてづくしの目まぐるしい時間を過ごしました。でも、若かった私にできなかったことは、タンクトップを着るということです。障害がある部分も気にせず、みな手や足をポンと出して颯爽と過ごす姿が、風に向かうライオンのようでした。

人として憂いをまとわない姿、尊厳ある生き方をしているとは、こういうことなのかと思いました。私はすぐ真似をしたくてタンクトップを買い、街を堂々と闊歩しようと頑張ったのですが、タンクトップを着ていると落ち着かず着るのをやめてしまいました。ああ、なんてこと。

私は外出先では、食べたいものは食べません。食べられるものを食べます。雨が降っても傘はさしません。濡れて歩きます。髪型も好きな髪型ではなく、手間がかからないことが最優先です。

私の服の基準は、自分で着れる服ということなので、タンクトップは条件を満たしているにも関わらず、着てこなかった唯一の服です。

ああ、自由に生きるってどういうことだろう? 尊厳ある生き方ってなんだろうと今でも悩んでいます。人生が終わる前に決着をつけたいです(笑)。

人に尊厳を認めさせることより、自分を納得させることの方が難しい。自分を恥じることなく、いつでも堂々と風を切っていたいです。

生まれ変わったら

シンポジウムの証言者の声の準備のために北海道を訪れました。インタビューをしているところをビデオに撮り、シンポジウムの会場で流すためです。続・薬禍の歳月では「何かやらなきゃ」で終わっているので、その後を紹介できないかとNHKの方も取材のため同行していました。

私はインタビューの最後に、「生まれ変わったら何になりたい?」と笑顔で質問しました。障がいがあるものにとって現世ではできないことが多く、来世では思いを果たしたいと思うもので、私には特別ではありませんでした。

インタビューを受けた相手も、普通に考え答えてくれました。その後、周りにいた人から私の質問に驚いたと言われました。「いやいや、普通のことです」と思ったので、驚いたと言うことに驚きました。

私だってバイクに乗って走りたいし、濡れないよう雨の日は傘をさして歩きたいし、しゃぶしゃぶだってカニだって、たらふく食べたいんです。でも、誰かの手を煩わしながら生きるって辛くて、やりたいことは全て来世でと思っています。
ちなみに私が来世でなりたい職業は農家さんです。
生きる権利の行使は、常に理想と現実の間にあると思いませんか?

サリドマイド・サバイバーの尊厳とは?

最近、よくchatGPTを使うのですが、愉快なことがあったので記事にしてみます。chatGPTにシンポジウムのチラシを作らせようと、自分の赤ちゃんのときの写真を使って、絵を描いてもらおうとしました。

そうすると、この写真を絵にすることは、写真に写っている子どもの尊厳を傷つけるからできないと言うのです。自分の絵なので問題ないのではと言うと、世の中にはいろいろな考えの人がいて、必ずしも好意的にみてくれるとは限らないと言うのです。で、私は、私の姿は人の目に晒してはいけない姿なのか聞いてみました。

結局、社会に問題を提起しようとするときに、カラダを張った行動は必要だと納得してくれました。しかし、差別や偏見を助長することになることはできないようプログラムされているので、別のことでお手伝いしたいと言ってきました。

確かに、尊厳のある生き方を主張するために、自分の生活や個人情報を晒すしかなく、尊厳を得るために尊厳を捨てるみたいな状況は、あるあると思う私です。