北海道に心配しているサリドマイドの仲間がいる

北海道に、今とても心配しているサリドマイド被害者の仲間がいます。
個人のことなので詳しく書くことはできませんが、障害がかなり重く、これまで日常生活の多くを家族に支えてもらいながら暮らしてきた方です。

昨年頃からは週に2回ほどヘルパーさんにも来ていただき、入浴介助など、家族だけでは負担の大きい部分については福祉サービスを利用するようになっていました。前回の訪問の時に、自立生活が困難になってきていることをいしずえに告げ、ヘルパーさんに繋げるようお願いしました。

ただ、それによって生活全体が支えられていたわけではありません。
日々の暮らしの中で、ちょっとしたことを手伝う、様子を見て、「何か困っていないか」と気にかける。
必要なときには誰かに連絡する。

そうした、福祉サービスの項目にはなかなか表れない部分を含めて、実際の生活を支えてきた中心は、やはり家族でした。

ところが今回、その中でも特に大きな役割を担っていたご家族が病気で入院されました。
それまで何とか成り立っていた生活が、突然大きく揺らぐことになったのです。

今回のことで、私自身も改めて考えさせられたことがあります。

「いしずえ」には、サリドマイド被害者のための相談員制度があります。相談を受け、必要に応じて福祉事務所などにつなぎ、すでにある社会福祉の制度やサービスを活用しながら、問題を解決したり、負担を軽くしたりするための仕組みです。

もちろん、こうした制度はとても大切です。

ただ、今回のようなケースでは、電話で話を聞くだけでは分からないことがたくさんあります。

本人が「大丈夫」と言っていても、実際に家に行ってみなければ分からないことがあります。

食事はきちんとできているのか。
身の回りのことは本当にできているのか。
困ったとき、自分から助けを求めることができるのか。
そして何より、本人だけではなく、その人の生活を支えてきた家族全体が、すでに支えきれない状態になっていないか。

今回、私が強く感じているのは、まさにそこです。

これまで家族が担ってきたものは、「入浴介助」や「家事援助」といった、福祉サービスの項目だけでは表せないものだったのだと思います。

「何か変だな」と気づくこと。
「困ってない?」と声をかけること。
必要なら誰かに連絡すること。
本人が言葉にできていない困りごとを見つけること。

家族は、そういうことを毎日の暮らしの中で自然にやってきました。その家族が突然支えられなくなったとき、その部分を誰が担うのでしょうか。

今回のことは、一人のサリドマイド被害者だけに起きた特殊な問題ではないと思います。

私たちサリドマイド被害者も高齢になってきました。同じように、これまで生活を支えてきた親やきょうだいも、同じように年を重ねています。

本人が年を取る。
家族も年を取る。
そして、ある日突然、支える側が病気になったり、支えられなくなったりします。

これから同じようなことは、ほかの人にも起きる可能性があります。

だからこそ、何かが起きてから電話で相談を受け、既存の制度につなぐという仕組みだけで十分なのか、考える必要があるのではないでしょうか。

必要なときには実際にその人の暮らしを見に行く。
本人だけを見るのではなく、その人を支えている家族を含めた「暮らし全体」を見る。
そして、今何が必要なのかを一緒に考える。
そういう仕組みも、これからは必要なのではないかと思います。

今回のことを通して、サリドマイド被害者が高齢期を迎える中で、私たちが考えなければならない新しい課題の一つが、はっきりと見えてきたように感じています。


増山 ゆかり

堂々と風を切って生きたい

以前にヨーロッパで開かれていた、サリドマイド国際会議に何度も出席しました。世界中からサリドマイドが集まり、それはそれは壮大なイベントでした。ドレスアップして、Welcome partyで踊って歌い、パラグライダーに初めて乗って、ドライバーと格闘しながらゴルフもして、山盛りの貝を食べて、初めてづくしの目まぐるしい時間を過ごしました。でも、若かった私にできなかったことは、タンクトップを着るということです。障害がある部分も気にせず、みな手や足をポンと出して颯爽と過ごす姿が、風に向かうライオンのようでした。

人として憂いをまとわない姿、尊厳ある生き方をしているとは、こういうことなのかと思いました。私はすぐ真似をしたくてタンクトップを買い、街を堂々と闊歩しようと頑張ったのですが、タンクトップを着ていると落ち着かず着るのをやめてしまいました。ああ、なんてこと。

私は外出先では、食べたいものは食べません。食べられるものを食べます。雨が降っても傘はさしません。濡れて歩きます。髪型も好きな髪型ではなく、手間がかからないことが最優先です。

私の服の基準は、自分で着れる服ということなので、タンクトップは条件を満たしているにも関わらず、着てこなかった唯一の服です。

ああ、自由に生きるってどういうことだろう? 尊厳ある生き方ってなんだろうと今でも悩んでいます。人生が終わる前に決着をつけたいです(笑)。

人に尊厳を認めさせることより、自分を納得させることの方が難しい。自分を恥じることなく、いつでも堂々と風を切っていたいです。