サリドマイド(薬害)事件

サリドマイドは、1957年(昭和32)10月、グリュネンタール社(西ドイツ、当時)から、商品名「コンテルガン(contergan)」として発売された。その後、世界各国で代理店別あるいは単剤・合剤ごとに異なった商品名で販売された。販売国数は40か国以上とされるが、確実なのは20か国ほどである。

日本では、催眠鎮静剤「イソミン」(単剤)として1958年1月に発売された。その後、胃腸薬「プロバンM」(合剤)として1960年8月に追加発売された。

発売当初、サリドマイドの催奇形性については何ら考慮されておらず、世界各国で多くの妊婦が服用した。

日本においても、イソミン(睡眠薬)/プロバンM(胃腸薬)共に、妊婦の「つわり」に多く使用されたのは確実と思われる。ただし、両剤共に、つわりに対する使用割合は不明である。

ところが、疫学調査(レンツ警告)から先天異常「サリドマイド胎芽症」や胎児死亡といった催奇性と因果関係があると報告された。日本では1962年(昭和37年)9月に、販売停止と回収が行われた。その時点で、すでにレンツ警告から約10か月経過していたが、この間、全国規模の疫学調査は一切行われなかった。つまり、販売中止を判断するために必要なデータが、国・製薬メーカーによって集められることはなかった。

日本の認定被害者(生存者)は、309人である(1981年5月最終確定)。ただし、この309人以外にも生存被害者のいる可能性がある。