子どもの頃は命に関わるくらい体調が悪く、熱を出して寝込むことも多かったのですが、先天異常の体で生まれたのだから、運命と思い受け入れようと思いました。なぜそのようなことができたかと言うと、私の入院していた国立小児病院では、大勢の幼い患者さんたちが、日々辛い病気と戦っていました。人は命を選べないですし、自分を卑下すれば差別する人と一緒になる、どんな自分であっても大事にしたい、三本指の小さな手を否定したくないと、子どもながら思っていました。
できなかったことをひとつひとつ乗り越え、思っていた以上に愉快な人生を送ってきました。しかし、30歳を過ぎたあたりから、よく外出中に貧血のような症状で動けなくなりました。まわりのサリドマイドの仲間の、体調不良を訴える声が聞こえてくるようになりました。歳を重ねて無理ができなくなったのかと思っていましたが、乳がんを患い手術をし、腕の可動域は半分になりました。
「やはり普通の体ではないからか?」と思っていた矢先に、あちこちから悲鳴があがるのを、聞くようになりました。治療を断念するしかないのかも、と言う声が聞こえても、いやいや誰かに人生を代わってもらうことはできないと、ただただ歯を食いしばる以外の選択肢はないと思っていました。
この10年くらいでしょうか。仲間が病気で亡くなり始めました。309人いたサリドマイドは、もうすでに250人を切る勢いで減っています。助けをもとめなくてはいけない、いや、自分たちで動かなくては間に合わないと思い、気がつけばサリドマイドが一番多いドイツ行きの飛行機に乗っていました。何か手掛かりがあるかもしれないと。何も知らずに行った私は、驚くことばかりでした。姿も見えないくらい先を歩くドイツのサリドマイドから多くの学びがありました。とても印象的だったのは、クラウスさんの「自分の人生を取り戻したい」でした。私は自分の人生は尊厳のある人生だと思っていました。しかし、私は生きたいように生きていませんでした。この世界の片隅に、私が心の底から笑える場所などありませんでした。日本のサリドマイドの仲間と話していると、正直に言うと胸をえぐられるように感じています。
生まれてすぐ病院の前に置き去りにされた、
障害を理由に里親に出された
幼少期は家の外を出ることが許されなかった、
教育を受けられなかった、
病気になって十分に治療ができなかった、
施設で育ち、家族と一緒に暮らせなかった、
誕生日を祝ってもらったことがなかった、
食べたいものを食べると言う習慣がなかった、
傘がさせないので雨の日は雨に打たれて歩いていた、
幸せを望むなんて贅沢だと思った、
こんな自分が生きていて良いのか悩んだ、
なぜ、私たちはこんなことを受け入れるんだろう。こんな理不尽が許されるのだろうか? これまでの困難は、個人が乗り越える限界を超えていたのではないだろうか?
もちろん、なに不自由なく生きてきたと、胸を張って良い人生だったという人もいます。でも、そうじゃない人も多くいました。どう生きれば正解だったのでしょうか? 今は「なんのために生まれ、どう生きていくのか」が私のテーマです。生きていることを愛しく思いたいんです。


