プライベートで北海道に帰りました。フェリーに乗って車を積んでの帰郷でした。車を移動させながらサリドマイドの仲間と旅しました。
非常に印象に残っていることがあったので、書き留めたいと思います。
サリドマイドの現況を知れば知るほど、それぞれのバックグランドの違いなどから課題も異なり、問題を解決することへ困難を感じます。
確かに、「結婚している、していない」「子供がいる、子供がいない」「親がいる、親がいない/他界している」「経済的に困っている、困っていない」など、障害の重い軽いだけではない、様々な状況の違いがあります。
仲間と話していて、今後の自分たちの話になったときに「困っていない人に、困っている人との共感を求め協力してもらうことは、現実的ではないのではないか」という話が出ました。
私はサリドマイドの困窮する状況を理解してもらえば、サリドマイドの仲間もそうでない人たちからも、いずれ理解や協力が得られると思っていました。
しかし、私の考えは甘すぎるのかも知れません。
というのは、私はアメリカのカリフォルニア大学バークレー校で障害者の自立支援について学んだ経験がありますが、30年以上前のアメリカにおける障害者への理解/支援の状況に、2025年になっても日本はまだ追いついていないと感じています。
障害がある人が日本社会で生きていくことは困難が多く、障害の程度に関わらず生きにくさから脱却できていません。みな自分のことでせいいっぱいで、人のために頑張れと言われても、これ以上は頑張れないということなのでしょうか。
でも、私たち障害者はこれからどんどん間違いなく歳を重ねていくので、今より状況が良くなることはなく、いずれ私も自分で生きていくことはできなくなると思いました。誰かの手を借り生きることから、逃れられないのではないでしょうか?
結局、私はこの運動をやらないよりはやった方がいいに決まってる、そう思う次第です。
これまで頑張って生きてきた人々に奇跡の一つくらい起きても、いいのではないだろうかと思いました。
増山ゆかり


