中野寿子さんの証言

以下のインタビューはサリドマイドシンポジウム内で上映されました。


スライドによる説明:中野さんは、山口県にお住まいです。腕は短く手首が曲がっています。両脚がほとんどないために、歩くことができません。電動車椅子で生活をしています。アーティストとして絵の創作をされています。欠格条項という法律によって、障害を持つ子どもの親は、子どもを就学させなければならない義務を免除/猶予され、中野さんは義務教育が受けられませんでした。初めての学校は、県立山口高校の通信教育でした。

寿子:
山口に住んでいます中野寿子と申します。

昨日増山さんがわざわざ遠くから来てくださって、いろいろとお話をして楽しい2日間をいま過ごしています。

山口で生まれ育ちました。私は兄弟が多くて、6人姉弟なんですね。6人姉弟の私が一番上で、妹一人がいて、あとはみんな男で、なかなか賑やかに暮らしてきましたが、私自身は当時はまだ義務教育を免除するということがあって、小学校も中学校も行っていません。なので、たぶんいまだに小学校の低学年がやるような算数もできないと思いますね。

私が15歳になったとき、普通はもう中学校3年生ぐらいで義務教育が終わる年なんですけど、その頃に訪問教育をしましょうと言われました。

山口市内にある日赤病院の中の院内学級で教えていらっしゃる先生が 一週間のうちで空いている時間を私の自宅まで来てマンツーマンで教えられることだけを教えましょうと。なので小学校をすっ飛ばしていきなり中学校の訪問教育を15歳から受けるようになったんですね。

でも先生の人数も限られている、一週間のうちに来てもらえる時間も限られているので、 週に3回、1時間ずつ、英語と国語と社会だけを3年間習いました。それでもすごい楽しかったわけです。先生に学ぶという経験が初めてだったのでね。

その3年間が終わって、一応中学校の卒業証書をもらったんだけど、そのとき先生がね、中野さんどうする? 僕がここに来なくなったら、中野さんまた学ぶ機会がもうなくなっちゃう。

通信制高校ってあるよと。そこなら基本は家にいて、レポートを書いて提出することで勉強ができるから、あなたは算数とか理科とかやってないから、ここはどうしても全教科を受けなきゃいけないから、そこのハードルどうするかって問題はあるんだけど、ちょっとトライしてみないかということで、山口市内にある県立山口高校の通信制の先生に相談に行ったら、結構すぐ受けてくれてね。当時の通信制高校はちょっと今とは状況が違っていて、30代、40代の社会人になったかたが生徒の圧倒的多数だったんですね。

「中学校出てもどうしてもすぐ働かなきゃいけない。働きだしたけども、仕事上どうしても高校卒業の資格が最低限必要だから」

そういう人たちが学校卒業して何十年も経ってからまた学びに来てるので、状況的には私とそんなに変わらないわけです。学力的な面とかね、一から学ばなきゃいけないっていう状況にもなってね。だから大丈夫だと。

みんなでサポートするので「おいで」と言われました。家でレポートを書くだけでは単位は出せないので、月に2、3回のスクーリングに登校してもらわないと単位は取れないよと。それまで家を出たことがなくて、13歳で初めて車椅子買ってもらったけれど、それは中学校の卒業式に出るためだったのね。あと文化祭とかにも呼ばれたので、そのためにやっと車椅子買ってもらったんだけど、でも私が親に車椅子を押し外に出たいって言ったら、親の第一声は「危ない」でした。外に出ると人にどんな目で見られるか予想したからでしょうけれど。車椅子を買ってもらって、中学校の文化祭と卒業式に出て、そのあといよいよ高校の入学式に出させてもらって、スクーリングに行って、初めて私の学校生活が始まったんですよね。

すごく嬉しくて。初めて自分の教室にクラスメイトが、年齢はバラバラだけどいる。自分の教科書があって、先生が目の前の黒板に何か書いて授業があって、このシチュエーションの中に自分がいるっていうのが本当に新鮮で、楽しかったんですよ。

当時の通信制高校は4年制でね。4年間通ったんですけど、勉強の中身はほとんど覚えてないんだけど、とにかくそこであった人との交流ね。やっと自分から外に出て、人と知り合うっていう経験がやっとそこでできた。

クラスメイトがみんな30代、40代の社会人だから、自分の仕事のこととか、家庭のこととか、社会のこと、色々、世間話の中で教えてくれる。これはもう本当に、学校の勉強よりもずっと面白くてね。本当に人に恵まれましたね。

スライドによる質問:人生で楽しかったことは何ですか?
 
寿子:
人間関係に恵まれたことですね。本当にそうなんですね。それこそ、通信制時代の人間関係も今も続いているし、本当に繋がるんですよ、何か知らないけど。

毎日行くスーパーのレジのおばちゃんも話していたら、そのまま繋がっているんですよ、ずっとね。スーパーでの付き合いだけじゃなくて、街で会って声をかけられたりして親しく話したり。

母は最後に認知症になったんですけれど、自宅に来てくださっていたかかりつけの先生やお医者さんたちも、母が亡くなったあとも私のことをずっと気にかけてくださったりとか、一回途切れたなと思ったら縁がまた繋がったりとか。友達もね、音楽やってる友達とか、絵を描く友達とか、わたし絵を描きますので、本当に13歳まで家にこもってた割には、その後の人間関係に本当に支えられて、 それだけが私の財産と思ってます。

ゆかり:
とても人としては幸せなことですね。

寿子:
幸せです。

ゆかり:
絵を描くって、大変だと思いますが、何が支えでしたか? なぜ続けられるのでしょうか? 自分のお仕事にもされているので、大変だと思うのですが、その原動力というのでしょうかね。

寿子:
全然原動力じゃないんですね、これ。子供の頃、うちの兄弟たちがみんな学校や幼稚園に行って、家にボツンと私一人でいるから。父が本を読むことと絵を描くことを教えてくれたんですね。

児童文学全集みたいなのをバンバン買ってくれたから、 本を読むのはすごい好きで、その傍らで、私初めて父が水彩絵具の使い方を教えてくれた日のこと、今でも覚えてるんですけどね。

父が若い頃絵を描くのが好きで上手く描いていたのを教えてもらった。これをやっていれば時間が作れる。本を読んで絵を描いていれば、一日家にいることがちょっと許される、みたいな気持ちがあって、絵を描くしかなかった。

ここしか私の居場所がない。好き嫌いとか、上手い下手ではないの。教えてもらって、たまたまこれ続けられそうだから、続けちゃおうかなって。ひたすら絵を描いて、そのうち漫画を描き始めた。ストーリー漫画で、漫画家になろうと思った。漫画家だったら家にいて絵を描いていればいいから。

当時は少女漫画の雑誌のうしろに文通欄があって、そこから文通を申し込んで、知らない人と知り合うツールでしたね。その中に漫画同人誌のメンバー募集というのが二つあって、一つが東京をメインに活動していて、もう一つが広島で活動しているグループで、両方のグループに自分が描いた絵を送ってみました。

家族しか見ていない絵を送って、ドキドキしました。一緒にやりましょうと言っていただいたので、同人誌に漫画を投稿することを始めた。みんな遠くに住んでいて、会ったことはなく作品だけを知っているという関係。

他人に絵を見てもらうことで、自分でもわかるくらい面白いくらい絵が上達したんです。人に見てもらい評価される、欠点を教えてもらうってことは、他者の目で見てもらうことの大事さを実感しました。家に一人でしか生活していないから、自分が絵を通して人と知り合うことができたことが、楽しくて新鮮でした。ますます絵しか自分にはなくなっていって、今に至ります。

ゆかり:
挿絵とかポスターとかも描いてご活躍されていると伺っていました。

スライドによる質問:サリドマイドに生まれたということは、中野さんにとってどんな影響がありましたか? サリドマイドに生まれていなければ?という言いかえでお答えいただいてもOKです。

ゆかり:
私も中野さんもサイドマイドに生まれて、もうかれこれ60年以上生きましたね。私は子どもの時は、大人になれないとずっと言われてきて 「え、なれないんだ」って、私心臓も悪かったですし。で、まあ、でも怖いとかあんまりなくて、生きられるまで生きればいいやって言っているうちに、こんな年になってしまいましたけれども、 うかがってみたいなと思うのは、中野さんが60何年生きていらして、もともとサリドマイドで生まれたっていうことが、自分の人生の中にどんな光なのか影なのか足跡なのか分かりませんけれども、どんな影響を与えてきたのかなというのは何かそこに思いはありますか?
 
寿子:
わからないな、それはわからないです。人から見たらコントラストが強いと思われるのかな。人から見たらそうなんだろうと思います。自分がサリドマイドに生まれたことって、どういうことなのかって、そうですねぇ……

ゆかり:
私は逆もあります。サリドマイドに生まれなかったらどうかって聞かれることもありますがそれも自分の想像を超えている気がします。

もしかしたらバリバリ働いているかもしれないし、職業もきっと今と違う仕事についていたと思うし、まったく違う人生を生きていたと思う。今はサリドマイド以外の自分を知らないので、ま、いいかと思っています。この辺で落ち着こうと思っています。

寿子:
想像はしますね。もしサリドマイドに生まれずに、普通に生まれていたらどうだったかって。

若い頃はよく想像しました。今ごろ会社勤めをして、ハイヒールを履いて、カカッと音を立てて歩く自分を。もしそうだったら障害がある人や福祉にぜんぜん興味を持たなかったと思います。他に楽しいことをいっぱい見つけちゃって。ぜんぜん違う視点を持つ人間になったと思う。

根本的に人間性は手足があるかないかで違う人生になったんだろうと思いました。どっちが良い悪いかわからないですが。私はサリドマイドに生まれたから絵を描くようになり、普通に社会人やっていたら、絵は描いていなかったと思う。絵を描く人生で良かったと思う。わかんないですけどね。