増山
次はクラウスさんにお話をいただければと思います。ちょっとだけ説明をさせていただきたいのは、ドイツでも(西暦)2000年以前は日本と同じように、やっぱり問題があったけれども、それがみんなで問題をなんとか打ち破るというところまでは、なかなか難しかったんですね。クラウスさんから「一錠の薬」っていう、ドラマの話も触れられると思います。ドイツで言うと、日本のNHKのようなテレビ局が共同で、民間のタイアップも入りまして、それが60年前に起きたサリドマイドの事件を(被害者の)親の目線で追っかけていたドラマになります。
クラウスさん
皆さんのためにメッセージを持ってきました。日本のワンチームがもっと知られるように、どうしたらいいのか、ずっと考えてきました。増山ゆかりさんは、一人で戦えるわけではないんです。こういうものを用意しました。

こちらのティーライト(紙袋の中にある)なんですが、これは今まで生きられなかった人たちを象徴しています。この袋なんですけど、この袋の中には、勇気、力、そしてポジティブなものを全部詰めましょう。さらに文字が書いてありますが、これは呼びかけのメッセージになります。
日本のワンチーム、そして特に増山ゆかりさんに、このシンポジウムへのご紹介を心から感謝します。ここで話す機会をいただくことを光栄に思います。
私の母国ドイツでの過去、そして、映画「ただ一錠のタブレット(一錠の薬)」を巡る物語をお伝えしたいと思います。この映画は、ドイツでの変化のきっかけとなりました。さらに、私自身が歩んできた人生についても、ぜひお伝えしたいと。思います。
クラウスさんの息子ダヴィッドさん
私はクラウスの息子で、チーム・ダヴィッド・ミシェルズです。年齢は18歳です。今日は父と一緒に、小さな対話劇の形で皆さんにこの映画のことをもっとお伝えできればと思います。
ダヴィッドさん、クラウスさんに向かって
最初の質問なんですけど、この映画はあなたにとってどんなものなんでしょうか。
クラウスさん
この映画の内容ですが、ドイツでコンテルガン(日本名サリドマイド)と呼ばれている睡眠薬の服用が引き起こした被害の大きさを描いています。
物語の主人公は、弁護士と彼の妻です。妻が妊娠中に薬を服用しました。ただ一錠の薬を飲んだ結果、生まれた子供は重い障害を負いました。そこで、弁護士の父がグリューネンタール社を訴える弁護士として戦う姿が描かれています。これが細かなストーリーになっております。
ダヴィッドさん
自分が生まれた年は2007年ですが、その年にちょうど映画が放映されました。ただ、映画がテレビで放映される前に、すでに様々な論争がありましたよね。
クラウスさん
はい、そうですね。加害者であるグリューネンタール社が、弁護士の力を使って、この薬をめぐるスキャンダルが放映されるのをどうしても阻止しようとしたんです。放映されてからも、さらに裁判を起こして、誤ったシーンを訂正してほしいなどと要求しました。しかし、最終的に映画は放映されました。そして、この論争そのものが社会の関心を大きく集めました。その結果、被害者の実際が改善されました。
ダヴィッドさん
どうしてこの映画がこんなに大きな影響を与えたと思いますか?
クラウスさん
放送前後には多くの議論が巻き起こりまして、社会運動としても盛り上がりました。この映画をきっかけに、多くの人がこの運動を認識するようになりました。障害者の権利、あるいはサリドマイド被害者の救済を訴える運動が活発に行われるようになりました。著名人も参加しました。例えば、ドイツでは有名なミュージシャンのニーナ・ハーゲンなどが支援に参加したこともありました。このテーマが次の世代へ受け継がれ、ほかの映像作品にも影響を与えることになりました。
ダヴィッドさん
そうですね。当時はこの映画が話題となって、多くのインタビューが行われましたし、新聞の記事にもなりました。やっぱりサリドマイド被害者が今どうなっているのかっていう関心がとても大きかったんですけど、さらにあなたたちが他に何かデモを起こしたりとかしたのでしょうか?
クラウスさん
私たちは、例えばですが、直径3メートルの巨大なタブレットを、ケルンの街の中を転がしながら行進しました。あるいは、グリューネンタール社の本社の前でデモを行いました。さらに、アート作品として我々の裸の体をポスターにして、それをケルン大聖堂の前で展示しました。
ダヴィッドさん
それは確かに注目されそうなデモだと思うんですけど、他にもいろんなことがあったでしょうね。
クラウスさん
私たちの声、あと尊厳のある暮らしの要求が、平和の(聞き取れず)により大きくなりました。当時、私たちは、ドイツの連邦保健省のセイガーキュルプシュさんからも支援を受けることになりました。さらに、かつての,コンテルガン事件がどれほど深い悲劇をもたらしたのかを、この時初めて知りました。
やっぱり、このスキャンダルについて、もう一度考えるきっかけになりました。彼女のおかげで、私たちは年金もそうですし、いろいろな補償が改善されました。私からすると、グリューネンタール社というのが悪の象徴です。そして、いろいろ調べていくうちに、自分と同じように感じている被害者がたくさんいることを知りました。
ダヴィッドさん
こんなに注目を浴びることになったんですけれど、皆さんの中で何かの変化があったのでしょうか。
クラウスさん
この映画の放映そのもの、そしてその後のメディアの関心を見て、私は一人じゃないと感じました。急にたくさんの賛同者ができました。そして私たちが立ち上がって、そして実際にいくつかのいいことをもたらし、成し遂げました。そして、今でも我々は連携をもって一緒に戦っています。私たちが目指しているのは、尊厳のある生活、暮らしです。なんで未だに戦っているかといいますと、未だに、新たな試練が待っているからです。高齢者になってからのケアですとか、あと、仲間が亡くなった後の遺族のケアなど、そういうような課題もまだまだたくさんあります。
ダヴィッドさん
私は被害者の頑張りのおかげだと思うんですけど、被害者の息子として変な目で見られたりとか、変なことを言われたり、されるようなことは一切ありませんでした。
クラウスさん
最後にお伝えしたいのが、皆さんが自分の人生を大切に、そして尊厳を持って生きていってほしいということです。そして、増山ゆかりさんをはじめ、この活動を支えてくださっている皆さんに、心から感謝しています。
(拍手)
増山
クラウスさんに、9月にお邪魔した時に、クラウスさんにとってこのドラマはどういうものだったんですかと聞きました。そのときにクラウスさんが、このドラマが、サリドマイドの親の目線で作られていて、自分がどういう体験をしたのかっていうことが映画の中でストーリーになっていたと言いました。クラウスさんの感想は、自分が初めて被害者、自分がサリドマイドの子供として生きてきたっていう人生だけではなくて、親がそれをどう感じてたのかっていうことを知ることにもなって、改めて自分がサリドマイドの当事者になるっていうことがどういうことなのかということに、深い理解ができたとおっしゃっておりました。
クラウスさん
ドイツの被害者の数はどんどん減っているんですね。亡くなっている。2000人以上です。みんなの寿命はそれぞれ違います。生まれてきた家族によっても運命が全然違ってくるんですね。例えば私の場合ですと、大家族の中で生まれました。10人目の子供でした。特に大家族でしたね。ものすごく家族によって守られました。ちょっと守られすぎたかなとも、時々は思ったりします。私は良かったんですけど、他の人の運命が全然違っていて、家族によって拒絶されたり、養護施設の中で育ったり、隠されたりしました。そういうこともありました。
私は守られた方でした。母はすごく肝っ玉母ちゃんだったんですが、それでもあるとき、乳母車を押している母のところに知らない人がやってきて、無理やり毛布を奪って、私がどんな体なのかを見ようとしたんです。本当に私たちの親が、私たちを守ってきたなと思っています。親がいなければここまで来ることはなかった。
今はもちろん親の世代がどんどんいなくなる中で、我々はそれでも連携しないといけないですね。一緒になることが何よりも大切です。ドイツの場合だと、その親の世代のおかげで、町レベル、州レベル、そして国レベルで被害者の協会ができたっていう歴史もあります。やっぱり一緒になることが大切です。
増山
クラウスさん、どうもありがとうございました。
(拍手)


