親愛なる日本のサリドマイド被害者の皆さま
そして関心をお持ちの皆さまへ
私の名前はイルロンカ・ステブリッツ(Ilonka Stebritz)です。1961年12月にドイツで生まれました。サリドマイド(ドイツではサリドマイドをコンテルガンと呼ぶ、以下名称をサリドマイドに統一)障害を持つ約5,000人の子供たちの一人です。私が生まれたとき、母は17歳でした。
4歳になるまで、私は何度もサリドマイド病棟に入院させられました。そこでは、足を動かすことを学ぶことになり、私に合った補助器具が開発・調整され、将来への準備も整えられました。
5歳から地元の幼稚園に通い、6歳で地元の小学校に入学し、10歳からは隣町の総合学校に通いました。
学校卒業後、行政事務職員(Verwaltungsfachangestellte)として研修を受け、2005年までこの職業に従事しました。2005年、サリドマイド感染による二次的被害のため、*障害年金(Erwerbsminderungsrente)を申請せざるを得なくなりました。
*ドイツの公的年金制度(Deutsche Rentenversicherung)の一部で、病気や障害などの理由で通常の労働ができなくなった人に支給される年金。つまり、老齢年金(定年後にもらう年金)ではなく、働けなくなった時点で支給される生活保障の一種。
2005年に障害年金を受給した後、私はサリドマイドをめぐる物語を深く掘り下げました。そして、グリュネンタール社(サリドマイドを開発した製薬会社)が胎児に危害が及んだという情報を得た時点で、妊娠中の動物を対象とした重要な試験を実施していれば、私はコンテルガンの被害を受けずに生まれていたかもしれないことに気づきました。
調査を進める中で、私は同じサリドマイド症患者たちの生活環境が耐え難く、ひどく劣悪なものであることをますます知るようになりました。彼らはサリドマイドによる被害のために補聴器や車椅子といった補助器具に頼らざるを得ませんでしたが、本来彼らにとって当然であるはずのケアを受けられなかったり、あるいは渋々受けさせてもらったりしていました。
リハビリやマッサージなども同様で、必要な量・期間の支援を受けられなかった人が多くいました。。
重度の障害を持つ人の中には、家庭環境も過酷な人がいます。冬には、雪かきをしてくれる人が来ないと家を出られなかったり、家族から「外に出るな」と言われ、家の中に閉じこもるよう強いられた人もいました。家で電球が切れると、誰かが来て交換してくれるまで待たなければならなかった人もいます。
これらすべては、彼女たちが胎児期にサリドマイドを投与されたせいです。私は何かを変えなければならないと思いました。彼女たちも、同年代の人たちと同じように、旅行したり、友人と夕食に出かけたり、映画を見たり、あるいは何か楽しいことをしたりできる人生を送る機会を与えられるべきだと。だからこそ、私は可能な限り、仲間たちの生活をより良くするための活動に関わることを決意しました。
私が非常に懸念していたもう一つの問題は、老後の保障でした。
私自身、サリドマイドによる障害のため、収入能力が減額された年金を受給するようになりました。その結果、年金保険制度に重要な拠出を行うことができなくなり、年金もそれに応じて低額でした。サリドマイド障害の影響を受けた他の人々は、サリドマイド障害のために全く働くことができず、老後の保障が全くない人もいました。しかし、年齢を重ねるにつれて、支援の必要性が増し、それに伴う費用も高くなることは明らかです。私たちのわずかな年金では、それに対処することは不可能でしょう。ですから、私は様々な理由から、この状況を変えるために集中的に取り組むことが重要だと考えました。私たちは、生涯をかけて働いていた場合と同じ立場に立たなければなりません。
サリドマイド財団の私の知り合いもほとんどは、給付金の額を早急に上げる必要があると考えていました。長年にわたり、給付金は増額されず、あるいは十分な増額もされず、もはや私たちが子供時代に感じていた給付金とは見合うものではありませんでした。
私たちが子供だった頃、財団の給付金は女性の月給や給与とほぼ同額でした。しかし、2007年と2008年には、標準的な生活保護受給額とほぼ同額になりました。
財団の給付金は補償関連の性質も持ち、必ずしも車椅子や補聴器などの不利益に対する補償金を賄うことを意図しているわけではなく、むしろ日常生活における幸福と、サリドマイド被害にもかかわらず社会生活に参加する能力に貢献することを目的としています。
しかし現実には、被害を受けた人の中には、サリドマイド年金から補装具やマッサージの費用を賄わなければならない人もいました。
長年にわたり浮上してきたもう一つの問題は、眼鏡や入れ歯の提供です。サリドマイド障害のある方には、従来の入れ歯を提供することができないことは明らかでした。なぜなら、彼らは日常生活でも歯を使うからです。ボトルを開けたり、ブラインドを上げたり、時には歯で袋を挟んだりすることもあります。このような場合、すぐに外れてしまうような入れ歯はあまり役に立ちません。そのため、インプラントのようなしっかり固定できる歯が必要でした。眼鏡の提供はかつては健康保険組合の責任でしたが、その後完全に廃止されたため、今では誰もが自分で眼鏡を購入しなければなりません。私のように視力が低下した人は、非常に近いものを見るための眼鏡と、遠くにあるものを見るための眼鏡など、異なる眼鏡を必要とするため、残念ながら複数の眼鏡が必要になることがよくあります。また、健康保険が適用されなくなったため、費用が高額になることもあります。
私のように、財団の給付金の水準を早急に変更する必要があると考えていた被災者もいますが、何も変えられない、これは一度決定された問題だと考えていた被災者もいました。数ヶ月後、彼らの考えは誤りであることが証明されました。
サリドマイド被害者の様々なグループが長年にわたって行ってきた活動があります。
こうした活動だけでは目標達成には至りません。もっと多くの働きかけが必要でした。そして、これまで共に活動してきた他の被害者たちと同じことをしても無駄だと悟ったため、私はサリドマイド被害者連盟に協力を依頼しました。そこで私は、要求リスト作業部会、そして後に研究プロジェクト作業部会のリーダーを任されました。要求リスト作業部会では、サリドマイド被害者連盟加盟団体が提出した要求を、その根拠となる論拠と情報によってサポートしました。要求リスト作業部会の成果の一つは、要求を事実と科学に基づいて裏付けるためには、研究プロジェクトを立ち上げ、あるいは提案することが賢明であるという点でした。
この研究プロジェクトの結果は、政策立案者がサリドマイド被害者の生活状況のさらなる改善を決定するための基礎となりました。
人生を向上させる道のりは、時に困難で、悲しく、もどかしく、失望させられることもありました。しかし、それでもその道を歩み、目標に向かって努力し続ける価値はありました。


