前日のミーティングにおいて台湾からいらしたワンさんの発言

皆さん、今日はお招きいただきありがとうございます。TJ ワンと申します。

皆さん、ちょっと信じられないかと思いますが長い間、私の中でサリドマイドっていうものは存在していませんでした。サリドマイドの被害者でありながら。

1960年生まれです。自分が被害者であることに気づくのに十四、五年かかりました。それは母から「あなたは被害者なんだよ」と言われて初めて気がつきました。

母は私を身籠った時に何か間違ったことをしでかしたのではないかと考えていたそうです。その頃、鶏小屋を作り鶏を飼っていたのですが、その時に何か悪いものが取り憑いたのではないか。だから鳥の足のような短い手で生まれてきてしまったのではないかと。

74年に日本で製薬会社と被害者と和解ができて、その時に台湾から議員が日本を訪れました。その議員は医者でもあったんです。医師会の代表でもあった方でした。

そのため、その人は台湾に戻って、緊急な議会招集をしました。4人のメンバーで、大日本製薬とも協議を始めた。

当時、台湾は戒厳令下にありました。

ですので、消費者保護法的なものが、とても制限された状況でした。一般市民が、裁判に訴えるというようなことができない状況でした。和解に関する交渉は一年かからずに終わりました。

当時サリドマイドのエキスパートとされていた西ドイツのランス医師が台湾を訪れました。当時、私は15歳ぐらいで、医療施設から母に連絡が入りました。

先ほどクラウスさんがおっしゃったような、同じような経験をしています。みんなの前で洋服を脱がされるというような体験です。その日そういう検査を受けたのは4人いました。私だけがサリドマイドの被害者として認定を受けることができました。そののち、すごい数のフラッシュライトがたかれて写真を撮られた記憶があります。

そのあと50年ほどはそんなことを忘れていました。ところがこの三年ほど前から自分が被害者なんだと思い出しました。

サリドマイド被害者の方に会ったのは、今回が2度目なんです。先月、ワシントン D.C.でアメリカの被害者の方に会ったのが初めてで、今日が2回目です。だからずっと普通の人のように生きてきたんです。

YouTubeに流されたNHKの番組でゆかりさんが西ドイツを訪れたのを見て、コンタクトをして、それでこういうふうに今回参加することができました。ありがとうございます。

22歳で台湾のジュニアカレッジを卒業したあと、アメリカに留学生として渡りました。

皆さん同じような経験があるかと思いますが、22歳まで台湾では、からかわれたり、いじめられたり、そういう経験があります。そんな中で、書くことやタイプすること、自転車に乗ったり、泳いだりすることを身につけました。

卓球もしました。USオープンにも出場しました。障害者用の大会でしたけど。たいていの人は私に卓球で勝つことはできません。

ビリヤードもしましたけど、誰も私に勝てないので一人でやっていました。

アメリカに渡ったら、からかわれたり、差別的な扱いを受けたりしなくなりました。

アメリカで勉強して、学士、修士、博士まで勉強ができました。

30年間いくつかの大学で教鞭を取ってきました。そして3年前に退職をいたしました。イリノイ州のガバナーズ州立大学で名誉教授を拝命されております。

だからサリドマイドの話は自分にとってとても些細な問題でした。でも台湾に帰ってから、この問題が自分にまた戻ってきました。

22歳の頃、台湾で運転免許を取ろうと思いました。断られました。他の人に運転を代わってもらいなさいと言われました。ところがアメリカでは7日しかかからないで運転免許を取ることができました。

ですので、3年前、台湾に帰ったときにはアメリカの運転免許証を切り替えるという形で、台湾で免許を取ることができました。でも切り替えの際に台湾の政府から条件をつけられました。でも、私は普通の人が運転する車を制限なしに運転してきました。だから運転できるのはオートマ車だけだという制限をかけられることに一時間ほど抵抗しました。

アメリカと比べると台湾っていうのは日本と一緒で道も狭いですし、運転の条件っていうか、コンディションは変わってくるわけですけれども、今3年ほど運転していますが、問題なく運転できています。

そんなことがきっかけで台湾では面倒だなと思い出しました。

医療保険に入ろうと思っても断られます。生命保険も断られました。なぜならサリドマイドについての知識がないからです。だからこそ、社会にサリドマイドをわかってもらう必要があると感じています。

ドイツや日本と異なり、台湾では被害者がとても少ないので少数の人しかサリドマイドを知りません。

医療関係のプロの方ですら、あまりわかっていないというのが実情です。

ですから、今回の機会を利用して、ゆかりさんや日本やドイツの組織から学び、その内容を台湾に持ち帰ることができたらと思っています。NHKからの協力もいただけたらと思っています。

なぜならこのイベントは大切なものだからです。人々が知るべき歴史的医療イベントです。未来において二度と同じような過ちを繰り返さないように。社会は知るべきです。政府,そして責任がある製薬会社たちが立ち上がって責任を取っていくべきです。