フリージャーナリスト飯田和樹さんの発言

サリドマイドシンポジウムのパネルディスカッション「薬害が日本社会のありようを問う」にて、フリージャーナリストの飯田和樹さんから以下の発言がありました。


元毎日新聞の記者で、フリージャーナリストの飯田和樹といいます。子どもにダウン症があることもあり、普段は障害の問題をメインテーマに取材をしています。私自身は、正直なところ、薬害の問題に詳しいわけではありませんが、今回、増山さんからお話をいただき、この場に登壇させていただくことになりました。よろしくお願いいたします。

まず、少し違う話になるかもしれませんが、2016年に起きた津久井やまゆり園事件について話をさせてください。

入所者である知的障害のある人たち19人が、元職員である植松聖(うえまつ・さとし)という現在は死刑囚となった男性に、次々と殺害された事件です。

植松死刑囚は「生産性がない障害者は生きる価値がない」といった類のことをいろんな場面で口にしていたと報じられています。

その言葉を聞いた私の仲の良い友人である脳性麻痺のある男性は「もしかしたら自分は殺されていたかもしれないと思った」と言いました。

一方、私は「もしかしたら自分は殺す側だったかもしれない」と思いました。

なぜなら、私は、カギカッコ付きの「役に立つ」という価値観の下、競争をしてきた人生だったためです。

彼の言葉は、今の社会の根底に流れている考え方だ。彼は突如あらわれた特別な考え方をした人ではなく、間違いなく今の社会が生み出した人だ。

しかも、私はその社会を、ある意味積極的に受け入れて過ごしてきたのだ。そう思いました。

「当事者」という言葉をどのように使っていいのかについては非常に難しい部分があるのですが、誤解を恐れずにいうと、私はこの事件の当事者であると感じたのです。

そのように思い始めると、もう、頭から離れません。

事件の本などは買うのですが、ページをめくるのが遅くなりました。「お前も加害者である」と書いてあるように読めたからです。

なぜ、こんなことを話したのかというと、これは津久井やまゆり園事件に限った話ではないと思うからです。もっといえば、サリドマイド薬害事件でも同じであると思います。私たちこそが、薬害事件が生まれうる社会をつくっている一員であるのだと、私は思います。

サリドマイド薬害と同様、日本の行動経済成長期に発生した水俣病。その患者認定運動の最前線で闘い、その後認定申請を取り下げた緒方正人さんは、その著書『チッソは私であった:水俣病の思想』(河出文庫)の中で次のように書いています。少し引用します。


チッソとは何なんだ、私が闘っている相手は何なんだということがわからなくなって、狂って狂って考えていった先に気付いたのが、巨大な「システム社会」でした。私がいっている「システム社会」というのは、法律であり制度でもありますけれども、それ以上に、時代の価値観が構造的に組み込まれている、そういう世の中です。それは非常に怖い世界として見えました。(中略)まさに水俣病を起こした時代の価値観に支配されているような気がするわけです。

私たちは、水俣病を起こした時代の価値観、サリドマイド薬害を起こした時代の価値観、津久井やまゆり園事件を起こした時代の価値観に支配されてしまっているのではないでしょうか。

私たちは、いろんなことを知らないまま、過ごすことができてしまっています。

言葉で意思を表すことが得意ではない知的障害のある人たちが持っている怒り。サリドマイドサバイバーの方々のこれまで生きて生きた中で味わった苦しみ、そしていま直面している日々の苦しみ。

しかし、これらは私たちがつくってきた社会によって引き起こされているのだと思います。だからこそ、この社会を作っている一員として、この問題について考えていきたいと思います。

河口智彦さんの展示作品

サリドマイドシンポジウムにて

__________己書(おのれしょ)を始めたきっかけはなんですか?

3年前、他県のある聞こえない女性師範から「楽しいよ〜描いてみたら?」と勧められて始めました。

スタート時に、「興味あるか? 趣味としてやりたいか? 師範になりたいか?」という三つの選択肢があり、私は最初から師範を目指しました。

2年前の二月、大雨の中で師範の試験を受け、無事に合格し、昨年の五月から家で道場を開きました。

教えるのではなく、楽しさを伝えています。

参加者の皆さんに手書きのハガキをいただきました。

入り口の横断幕も河口さんに書いていただきました。

増山ゆかりさんの発言

サリドマイドシンポジウムにて

なんのために生まれ、なんのために生きるのか
増山 ゆかり

昨年の春、私は還暦を迎えたという区切りもあり、久し振りに故郷の北海道に帰りました。幼少期を施設で育った私の友人の多くは、私と同じサリドマイドです。未知の身体で生まれた私たちは大人になれないと言われ、経過観察の意味もあったのでしょうが、東京の施設に集められ治療や訓練を受けていました。苦しい時期を共に乗り越えた戦友のような存在です。

そのひとりが入院したと聞いて、お見舞いに行こうとしたことが帰郷のきっかけでもありました。ヘルニアの悪化で歩けなくなった友人の姿を見て、強い衝撃を受け言葉が出てきませんでした。足を使う私たちは、足が使えなくなると、自立した生活を送ることはできなくなります。これが自分たちの運命だと受け入れている友人のために、私は私のできることをしなくてはと思いました。なぜあらがおうとしなかったのだろうと自分に腹が立ちました。

サリドマイド被害者が多いドイツに行けば、なにか問題解決の手がかりがあるかもしれないと思い、気がつけばドイツ行きの飛行機の中でした。彼らは国や製薬会社と交渉し、十分に治療を受けるために年金の増額をし、病院にはサリドマイド外来が設置されるようになっていました。「新たに救済を受けたのではなく、自分たちの権利を行使しました。尊厳ある人生を取り戻したかった」と話してくれました。

私は日々の生活の中で、雨が降っても傘はさしません。傘はさせないので濡れて歩くだけです。ひとりで外食するときは、食べたいものを食べる習慣はありません。自分で食べられるものを食べています。洋服は着たい服ではなく、自分ひとりで着られる服を買います。

生まれたときは心臓が悪く、いつ死んでもおかしくないと言われました。 成長と共に体力がついて、今日があり明日がくるという人生を歩き出しました。そんなときに両親が離婚し家族はバラバラになり、あっという間にひとりぼっちになってしまいました。家族と暮らす経験がない人生でした。

また未知の身体で生まれるということは、想像以上に厄介なことでした。

いたるところに奇形や欠損があるために、病気をしても普通に治療ができません。例えば私の場合は顎に低形成があり、一本でも入れ歯は入れるのが難しいことがわかりました。ガンを患った時に、血管が細く造影剤や抗がん剤を使うことが難しかったのです。薬が作り出した未知の体は、人類にとって初めての体であり、これまで人類が蓄積してきた医療技術の、恩恵を授かることはできません。

ある朝、私は突然起き上がれなくなりました。これは何度か繰り返される症状です。首から背中にかけて激しい痛みに襲われ、呼吸をすることもやっとの状態になりました。夫に抱えられ病院に行き検査をしましたが、結局どこからくる痛みかわからず、治療はできないと湿布薬を渡され帰されました。一ヶ月ほど寝たきりになり、徐々に痛みがなくなり、ようやく元の生活に戻っていきました。どんな体なのか研究され尽くしていない私たちですので、今の状況では病気になっても治療方法は永遠に手に入りません。

誰にとっても完璧な人生はないし、嘆いたところで現実は変わるわけではないので、みな「苦しいのは自分だけではない」と言い聞かせ、スポーツを楽しめなくても、趣味を楽しめなくても、治療ができない体でも、不平不満も言わず今日まで来ました。諦めることを「よし」とする生き方は潔く、ある種の美しさがあります。私の幸せのありようを表してはいるように思うのです。自分が生きたいように生きてきたのかというとそうではありません。ときどき誰かに詫びたい気持ちになりました。いったい誰に何を詫びればいいのかわかりませんでしたが。

いま、私が思うことは私たちの問題は別の誰かの問題であり、特殊な状況にある自分たちが我慢さえすれば良い、ではないのだということです。この問題を改善することは、誰かの明日の生きるにつながっていると思います。

河口智彦さんの発言

サリドマイドシンポジウムにて

こんにちは。

私は、聴覚障害の河口智彦です。よろしくお願いします。

サリドマイドは、上腕から手先までの障害がとても多く、難聴を含む聴覚障害者もいることは案外知られていません。

私自身は、はっきりとした記憶ないのですが、5歳くらいに自分の耳がないことに気がつきました。

母の話を聞くと私は母の耳を握って耳がほしいというような動作をしたそうです。

耳が無いため、周りの人から見えないように母手作りの耳のカバーを紐で結び覆っていました。

自宅前の道は、通学路だったので行き交う小学生達に「あれはなんだ!」と馬鹿にされたり笑われたりして悔しい思いが積み重なっていったのを覚えています。

小学部5年生の頃、東京で全国のろう学校 P T A 総会があって、母が参加し、講演者の話を聞いて私の障害はもしかするとサリドマイドなのかも?と終了後に講演者からアドバイスをもらった。

その足で東京の病院に向かい、診察の結果、サリドマイドだと診断された。

生まれてから10年間も身体の障害の原因はわからないままだったのだがやっとここで判明したということになる。

サリドマイド薬の服用期間、また胎児の成長のどの段階で服用されたのか、で障害は異なった。

私の場合は、母が多分妊娠1ヶ月と7日から10日くらいの間に服用し、この時点では胎児の身長は4ミリから6ミリで、耳は生育しておらず、神経麻痺など影響を受けた。

寝るときも目はうっすら開いたままになってしまっている。

辛いものなど食べるとき、くしゃみをするとワニのようになってしまっている目から自然に涙が出てしまう。

きこえない者同士で必要不可欠な口話は唇を閉じることができないのでコミュニケーションが不十分なものになってしまう。 (他のきこえない人より重い言語障害を負っていることになる。 )

ほかに運転免許証の顔写真を撮るとき、口は閉じるように指示される。が、私は無理なことなので両手で口を挟んで歯を見せないようにするのだが、これからも一生、更新のたびことにこのような撮影をしなければなりません。

ほかにも食事の際に困ることは、口はすぼめることができずにスープを口の中に入れるときにこぼれてしまうこと。

唇を閉じて咀嚼するのはマナーだが口を閉じることが出来ないので食べ物をこぼすのは幼い子供のように日常的になっている。理解のある人としか食卓は囲めないことになる。

お茶や液体を口にするときは、コップの縁に舌を乗せ、こぼれないように工夫して飲んでいる。

歯磨きや歯科治療のときの口中を水でゆすぐ時は手を使って唇を両方からつまむようにして水を流し込むことにしている。

鼻の中は、普通の人から比べるとかなり狭いうえに曲がっているので口呼吸しかできません。

鼻毛の役割は、外気に含まれている汚物を防ぐ役割があるが私の場合は汚染された空気が口から直接入ってくるため肺疾患の恐れがあるのではと、とても心配している。

顔の神経が麻痺しているため、一生、笑顔の写真は撮ることはできないのだが、一つだけ願いが叶うならば笑顔の写真を撮ってみたい、ということと、私の顔に対する偏見がいつか無くなってほしいと強く願っています。

サリドマイドシンポジウムの概要

6月22日におこなわれたサリドマイドシンポジウムの概要をお伝えします。

以下のスライドを用いて進行いたしました。


証言者の声を聴く「なんのために生まれ、なんのために生きるのか

河口智彦(かわぐちとしひこ)さんの発言

中野寿子(なかのひさこ)さんの発言

○ ○ ○

パネルディスカッション「薬害が日本社会のありようを問う

フリージャーナリスト飯田和樹さんの発言

薬害サリドマイド被害者 増山ゆかりさんの発言

○ ○ ○

展示作品

河口智彦さんの展示作品

中野寿子さんの展示作品

完成までしばらくお待ちください。

サリドマイドシンポジウムが無事に終わりました

以前から告知していたサリドマイドシンポジウムですが、6月22日に無事終了いたしました。

ご協力いただき、またシンポジウムに参加していただいた皆さんに感謝申し上げます。

当日夜にはNHKでもニュースとして放送していただきました。ありがとうございます。

当日夕方にWebで報じられた内容は以下のとおりです。

サリドマイド薬害シンポジウム 深刻な影響出ている実情訴える NHK 2025年6月22日17:32

サリドマイド・サバイバーであり、日本己書道場公認 道場師範の河口智彦さん直筆の記念ハガキを、参加者はいただきました。心のこもった作品を提供していただき、ありがとうございます。

シンポジウムの内容、展示されたアーティストの作品については、後日報告いたします。

サリドマイドシンポジウムの告知文はこちらに。

シンポジウムのアーティスト

6月22日におこなわれるサリドマイドシンポジウムの会場に二人のアーティストの作品を数点展示いたします。

中野寿子さん
イラストレーター
「続 薬禍の歳月 薬害サリドマイド事件60年」に出演。

まろびね工房
http://marobine.holy.jp

河口智彦さん
日本己書道場公認 道場師範
旧優生保護法訴訟で和解が成立し、名古屋高裁前で掲げられた旗は、河口さんの字。この時のことを報じた朝日新聞も展示なさるそうです。

かわぐちさんのfacebook
https://www.facebook.com/profile.php?id=100095094770812

シンポジウムへの参加費は無料です。ぜひいらしてください。

堂々と風を切って生きたい

以前にヨーロッパで開かれていた、サリドマイド国際会議に何度も出席しました。世界中からサリドマイドが集まり、それはそれは壮大なイベントでした。ドレスアップして、Welcome partyで踊って歌い、パラグライダーに初めて乗って、ドライバーと格闘しながらゴルフもして、山盛りの貝を食べて、初めてづくしの目まぐるしい時間を過ごしました。でも、若かった私にできなかったことは、タンクトップを着るということです。障害がある部分も気にせず、みな手や足をポンと出して颯爽と過ごす姿が、風に向かうライオンのようでした。

人として憂いをまとわない姿、尊厳ある生き方をしているとは、こういうことなのかと思いました。私はすぐ真似をしたくてタンクトップを買い、街を堂々と闊歩しようと頑張ったのですが、タンクトップを着ていると落ち着かず着るのをやめてしまいました。ああ、なんてこと。

私は外出先では、食べたいものは食べません。食べられるものを食べます。雨が降っても傘はさしません。濡れて歩きます。髪型も好きな髪型ではなく、手間がかからないことが最優先です。

私の服の基準は、自分で着れる服ということなので、タンクトップは条件を満たしているにも関わらず、着てこなかった唯一の服です。

ああ、自由に生きるってどういうことだろう? 尊厳ある生き方ってなんだろうと今でも悩んでいます。人生が終わる前に決着をつけたいです(笑)。

人に尊厳を認めさせることより、自分を納得させることの方が難しい。自分を恥じることなく、いつでも堂々と風を切っていたいです。

生まれ変わったら

シンポジウムの証言者の声の準備のために北海道を訪れました。インタビューをしているところをビデオに撮り、シンポジウムの会場で流すためです。続・薬禍の歳月では「何かやらなきゃ」で終わっているので、その後を紹介できないかとNHKの方も取材のため同行していました。

私はインタビューの最後に、「生まれ変わったら何になりたい?」と笑顔で質問しました。障がいがあるものにとって現世ではできないことが多く、来世では思いを果たしたいと思うもので、私には特別ではありませんでした。

インタビューを受けた相手も、普通に考え答えてくれました。その後、周りにいた人から私の質問に驚いたと言われました。「いやいや、普通のことです」と思ったので、驚いたと言うことに驚きました。

私だってバイクに乗って走りたいし、濡れないよう雨の日は傘をさして歩きたいし、しゃぶしゃぶだってカニだって、たらふく食べたいんです。でも、誰かの手を煩わしながら生きるって辛くて、やりたいことは全て来世でと思っています。
ちなみに私が来世でなりたい職業は農家さんです。
生きる権利の行使は、常に理想と現実の間にあると思いませんか?

サリドマイド・サバイバーの尊厳とは?

最近、よくchatGPTを使うのですが、愉快なことがあったので記事にしてみます。chatGPTにシンポジウムのチラシを作らせようと、自分の赤ちゃんのときの写真を使って、絵を描いてもらおうとしました。

そうすると、この写真を絵にすることは、写真に写っている子どもの尊厳を傷つけるからできないと言うのです。自分の絵なので問題ないのではと言うと、世の中にはいろいろな考えの人がいて、必ずしも好意的にみてくれるとは限らないと言うのです。で、私は、私の姿は人の目に晒してはいけない姿なのか聞いてみました。

結局、社会に問題を提起しようとするときに、カラダを張った行動は必要だと納得してくれました。しかし、差別や偏見を助長することになることはできないようプログラムされているので、別のことでお手伝いしたいと言ってきました。

確かに、尊厳のある生き方を主張するために、自分の生活や個人情報を晒すしかなく、尊厳を得るために尊厳を捨てるみたいな状況は、あるあると思う私です。