ドイツからの参加者イルロンカ・ステブリッツさんからのメッセージ

親愛なる日本のサリドマイド被害者の皆さま

そして関心をお持ちの皆さまへ

私の名前はイルロンカ・ステブリッツ(Ilonka Stebritz)です。1961年12月にドイツで生まれました。サリドマイド(ドイツではサリドマイドをコンテルガンと呼ぶ、以下名称をサリドマイドに統一)障害を持つ約5,000人の子供たちの一人です。私が生まれたとき、母は17歳でした。

4歳になるまで、私は何度もサリドマイド病棟に入院させられました。そこでは、足を動かすことを学ぶことになり、私に合った補助器具が開発・調整され、将来への準備も整えられました。

5歳から地元の幼稚園に通い、6歳で地元の小学校に入学し、10歳からは隣町の総合学校に通いました。

学校卒業後、行政事務職員(Verwaltungsfachangestellte)として研修を受け、2005年までこの職業に従事しました。2005年、サリドマイド感染による二次的被害のため、*障害年金(Erwerbsminderungsrente)を申請せざるを得なくなりました。

*ドイツの公的年金制度(Deutsche Rentenversicherung)の一部で、病気や障害などの理由で通常の労働ができなくなった人に支給される年金。つまり、老齢年金(定年後にもらう年金)ではなく、働けなくなった時点で支給される生活保障の一種。

2005年に障害年金を受給した後、私はサリドマイドをめぐる物語を深く掘り下げました。そして、グリュネンタール社(サリドマイドを開発した製薬会社)が胎児に危害が及んだという情報を得た時点で、妊娠中の動物を対象とした重要な試験を実施していれば、私はコンテルガンの被害を受けずに生まれていたかもしれないことに気づきました。

調査を進める中で、私は同じサリドマイド症患者たちの生活環境が耐え難く、ひどく劣悪なものであることをますます知るようになりました。彼らはサリドマイドによる被害のために補聴器や車椅子といった補助器具に頼らざるを得ませんでしたが、本来彼らにとって当然であるはずのケアを受けられなかったり、あるいは渋々受けさせてもらったりしていました。

リハビリやマッサージなども同様で、必要な量・期間の支援を受けられなかった人が多くいました。。

重度の障害を持つ人の中には、家庭環境も過酷な人がいます。冬には、雪かきをしてくれる人が来ないと家を出られなかったり、家族から「外に出るな」と言われ、家の中に閉じこもるよう強いられた人もいました。家で電球が切れると、誰かが来て交換してくれるまで待たなければならなかった人もいます。

これらすべては、彼女たちが胎児期にサリドマイドを投与されたせいです。私は何かを変えなければならないと思いました。彼女たちも、同年代の人たちと同じように、旅行したり、友人と夕食に出かけたり、映画を見たり、あるいは何か楽しいことをしたりできる人生を送る機会を与えられるべきだと。だからこそ、私は可能な限り、仲間たちの生活をより良くするための活動に関わることを決意しました。

私が非常に懸念していたもう一つの問題は、老後の保障でした。

私自身、サリドマイドによる障害のため、収入能力が減額された年金を受給するようになりました。その結果、年金保険制度に重要な拠出を行うことができなくなり、年金もそれに応じて低額でした。サリドマイド障害の影響を受けた他の人々は、サリドマイド障害のために全く働くことができず、老後の保障が全くない人もいました。しかし、年齢を重ねるにつれて、支援の必要性が増し、それに伴う費用も高くなることは明らかです。私たちのわずかな年金では、それに対処することは不可能でしょう。ですから、私は様々な理由から、この状況を変えるために集中的に取り組むことが重要だと考えました。私たちは、生涯をかけて働いていた場合と同じ立場に立たなければなりません。

サリドマイド財団の私の知り合いもほとんどは、給付金の額を早急に上げる必要があると考えていました。長年にわたり、給付金は増額されず、あるいは十分な増額もされず、もはや私たちが子供時代に感じていた給付金とは見合うものではありませんでした。

私たちが子供だった頃、財団の給付金は女性の月給や給与とほぼ同額でした。しかし、2007年と2008年には、標準的な生活保護受給額とほぼ同額になりました。

財団の給付金は補償関連の性質も持ち、必ずしも車椅子や補聴器などの不利益に対する補償金を賄うことを意図しているわけではなく、むしろ日常生活における幸福と、サリドマイド被害にもかかわらず社会生活に参加する能力に貢献することを目的としています。

しかし現実には、被害を受けた人の中には、サリドマイド年金から補装具やマッサージの費用を賄わなければならない人もいました。

長年にわたり浮上してきたもう一つの問題は、眼鏡や入れ歯の提供です。サリドマイド障害のある方には、従来の入れ歯を提供することができないことは明らかでした。なぜなら、彼らは日常生活でも歯を使うからです。ボトルを開けたり、ブラインドを上げたり、時には歯で袋を挟んだりすることもあります。このような場合、すぐに外れてしまうような入れ歯はあまり役に立ちません。そのため、インプラントのようなしっかり固定できる歯が必要でした。眼鏡の提供はかつては健康保険組合の責任でしたが、その後完全に廃止されたため、今では誰もが自分で眼鏡を購入しなければなりません。私のように視力が低下した人は、非常に近いものを見るための眼鏡と、遠くにあるものを見るための眼鏡など、異なる眼鏡を必要とするため、残念ながら複数の眼鏡が必要になることがよくあります。また、健康保険が適用されなくなったため、費用が高額になることもあります。

私のように、財団の給付金の水準を早急に変更する必要があると考えていた被災者もいますが、何も変えられない、これは一度決定された問題だと考えていた被災者もいました。数ヶ月後、彼らの考えは誤りであることが証明されました。

サリドマイド被害者の様々なグループが長年にわたって行ってきた活動があります。

こうした活動だけでは目標達成には至りません。もっと多くの働きかけが必要でした。そして、これまで共に活動してきた他の被害者たちと同じことをしても無駄だと悟ったため、私はサリドマイド被害者連盟に協力を依頼しました。そこで私は、要求リスト作業部会、そして後に研究プロジェクト作業部会のリーダーを任されました。要求リスト作業部会では、サリドマイド被害者連盟加盟団体が提出した要求を、その根拠となる論拠と情報によってサポートしました。要求リスト作業部会の成果の一つは、要求を事実と科学に基づいて裏付けるためには、研究プロジェクトを立ち上げ、あるいは提案することが賢明であるという点でした。

この研究プロジェクトの結果は、政策立案者がサリドマイド被害者の生活状況のさらなる改善を決定するための基礎となりました。

人生を向上させる道のりは、時に困難で、悲しく、もどかしく、失望させられることもありました。しかし、それでもその道を歩み、目標に向かって努力し続ける価値はありました。

ウドさんのインタビュー

最初の頃は、何十年もの間、私たちはグリュネンタール社の門の前で必死になって座り込みをしたり、ローソクに火をつけたり慰霊を行うなど繰り返していました。しかし、目立った効果はありませんでした。2007年だったと思いますが、テレビ局はフィクションのドラマを作りました。私たちは一生に一度のチャンスを掴まなくてはならないと思いました。それをきっかけに何かを変えなければならないと、われわれは思っていました。他の国では国からの支援も充実していて、健康問題でもさまざまなサポートが行われていたことを知っていたからです。

当時は年金が低く、生活が厳しい人もいました。ドラマが放送されると、世間はドラマに注目、多くの人が視聴しました。過去の映像を使ったドキュメント番組も作られました。サリドマイド/コンテルガンが社会で話題になり、国は仕方なく、私たちに年金を2% 上乗せすると言ってきました。足りないと言ったら4%にすると言ってきました。それはわずか20ユーロだけでした。国との交渉には何か対策を考えなくてはいけない、どのような方法が良いのか、どのような形が望ましいのか考えた結果、NPOのようなものを作ると選挙が必要だったり、何かアクションを起こそうとすると、メンバーの同意がなければできないということで、かなり時間がかかることがわかりました。ことが進まないと市民運動のための団体を作ることにしました。これがInternational Contergan Thalidomide Alliance/ICTAです。2008年、ケルンで初めての集会を開きました。10人ほどが集まりました。ずっと犠牲者/被害者でいたいのかと問いかけました。


以上はドイツでインタビューした内容。

国際サリドマイドシンポジウムでこのビデオが流されたあと、ネットで繋いでインタビューした内容はこちら。

バーバラ・ベルトマーさんからのメッセージ

私の名前はバーバラ・ベルトマー(Barbara Bertmar)です。

私は64歳で、ドイツのサリドマイド被害者です。障害をもって生きるということは簡単ではありません――私たちは皆、それを知っています。しかし、障害をもったまま年を重ねていくことは、さらに大変なことです――これも皆、よくわかっています。

私は30年前、スウェーデンで開かれたサリドマイド世界会議でゆかりさんに出会いました。そして最近、ケルンで再会しました。

私たちは、日本のサリドマイド被害者の現状について長く話し合い、彼女は特に医療的支援が不足していることを教えてくれました。サリドマイド被害者特有の問題に詳しい医師や看護師、理学療法士がいないのです。

皆さんは日本社会の対等な一員であり、他の人たちと同じようにその中にしっかりと属しています。他の誰かと同じように、尊厳をもって生きる権利があり、皆さんのニーズや訴えがきちんと考慮されるべきです。

ゆかりさんが「ONE TEAM」を設立したことは、とても素晴らしいことであり、それは絶対に必要なことだと私は思います。だからこそ、皆さんが彼女に加わり、彼女を支えてほしいと心から願っています。

このシンポジウムは、そのためのとても重要な一歩です。また、社会や政治家に皆さんの存在と問題を知ってもらうことは不可欠です。

たとえばドイツでは、サリドマイドを開発した製薬会社グリューネンタール社の前で追悼の抗議行動を行い、首都ベルリンでもデモ行進をしました。

もちろん、ドイツの状況をそのまま日本に当てはめることはできません。ですが、政治の場で皆さんの厳しい医療的状況を理解してもらうこと――

たとえば保健大臣などに、専門知識をもった医師や看護師、理学療法士の必要性を訴えることは、とても大切です。こうした専門家は、ドイツと協力して養成することもできるでしょう。

また、「ONE TEAM」という団体に、宗教、スポーツ、音楽、映画、演劇などの分野で知られる方――

男女それぞれの著名な方を名誉会長(または支援者)として迎えることも、社会の理解と共感を広げるうえで役立つかもしれません。簡単な道ではありません。

でも、それは一歩一歩、歩みを進めていく過程です。共に歩み出すことで、状況を改善するチャンスを手に入れられるのです。

ジャマイカのボブ・マーリーのレゲエの歌を知っていますか?

“Get up, stand up, stand up for your right!

Get up, stand up, don’t give up the fight!”

(立ち上がれ、自分の権利のために! 戦うことをあきらめるな!)

ありがとう(ARIGATŌ)――聞いてくださって感謝します。

皆さんの活動と目標が実を結びますように。

そして、2026年10月にオランダで開かれるサリドマイド世界会議で、またお会いできるのを楽しみにしています。

さようなら(SAYŌNARA)

国際サリドマイドシンポジウム会場への行き方

2025年10月17日(金)のサリドマイドミーテイングと同年10月18日(土)の国際サリドマイドシンポジウムの会場はともに、ビジョンセンター東京八重洲内の905号室とビジョンホールです。東京駅からそこまでの道順を解説いたします。

所在地は、東京都中央区日本橋2-3-4 日本橋プラザビル9F ビジョンセンター東京八重洲です。17日はビジョンセンター東京八重洲内の905号室。18日はビジョンセンター東京八重洲内のビジョンホールを使います。

開始時刻はともに15時です。時間的余裕をもってご来場ください。

東京駅から会場までの地図は以下の通りです。地図上の①〜⑨は写真撮影の場所。矢印は写真を撮影した方向です。

Screenshot

① まず、東京駅八重洲中央口一階から外に出てください。八重洲中央口には以下の看板が出ています。

② ここから外の出ると、このような景色です。

③ 目の前の道を渡って左に行ってください。その時の景色は以下の通り。

④ 渡りきって左を向くと地下パーキングの入り口があります。この方向で100mほど歩きます。

⑤ 右手の看板を見たら、横断歩道を渡ってからさくら通りを右に進みます。

⑥ 右に曲がったときの景色は以下のようなもの。ここから約135m。まっすぐ進む。

⑦ 会場手前に信号があります。「おかしのまちおか」の赤い看板を見たら安心してまっすぐ進んで下さい。

⑧ 「おかしのまちおか」の隣のビルが目的地。「おかしのまちおか」の建物をとおりすぎると左手に日本橋プラザビルの看板があります。

⑨ 入り口正面はこのような風景。まっすぐ中に入ります。

⑩ 中に入ると右手にエスカレーター、左手にエレベーターがあります。左手のエレベーターで9階へ上がってください。

⑪ 9階で降りたらそこが会場入り口。

入り口の左側に以下のような看板があります。 17日は905号室、18日はビジョンホールにそれぞれ「サリドマイドミーティング」「国際サリドマイドシンポジウム」と表示があるはずです。写真はフォトショップで加工しました。

会場でお目にかかるのを楽しみにしています。

厚労省の記者クラブで記者会見をいたしました

9月24日に厚労省の記者クラブで記者会見を行いました。One Teamからの出席者は、増山ゆかり、福原麻希とKさんです。

配布資料は2点。Facebookでメンバーを募ろうと作った呼びかけ文と、国際サリドマイドシンポジウムの企画書です。

産経新聞が幹事社です。ちょっと緊張気味の増山が、One Teamの立ち上げ経緯を説明、続いて国際サリドマイドシンポジウムの内容を説明しました。今回の記者会見は、国際サリドマイドシンポジウムの取材のお願いと、シンポジウムをイベントのお知らせなどに載せていただけるようお願いしました。

いろいろ質問が出て、ほぼ1時間の記者会見となりました。

派手さはありませんが、命にかかわることで困っている人がいて、助けを求めていることは、伝わったように思いました。

興味深い質問としては、「他にサリドマイドを支援する団体はないのか?」や「今後、どのような活動をしていきたいのか」など、興味を持っていただいたと思われる感触でした。いしずえを紹介し、治療が受けられる体制/病気の研究や、仲間同士の交流を行いたいなど説明しました。(いしずえの存在を知らないようでした。)

特に会見のあとの名刺交換の際に、お手伝いしたい、今後も継続して情報を入手したいなど、具体的に励ましのお言葉も頂戴しました。たどたどしい私の説明でしたが、サリドマイドの人々が、時間と共にいろいろな問題があることがわかり、十分な対応ができていない状況になっているというのは、理解いただいたと思います。

もしどこかで記事になっているのを見つけたら以下にコメントをください。よろしくお願いいたします。

国際サリドマイドシンポジウム 2025 企画書

〜サリドマイドが抱える問題から社会のありようを捉える〜

サリドマイドは1957年に西ドイツの製薬会社が開発した睡眠薬で、日本では1950年代末から1960年代初頭まで、睡眠薬や胃腸薬に使われ販売されました。サリドマイドの胃腸薬は、つわり止めとして推奨されたことから、服用した妊婦の胎内で胎児は副作用で四肢、耳、内臓などに奇形を起こしました。世界規模で見れば10,000人以上が被害を受け、日本でも被害者数は1000人を超えたと言われています。1963年、被害者は国と製薬会社を訴え、原因の究明と救済を求め裁判を起こしました。1974年、11年もの長い闘争の後でようやく和解が結ばれました。そこから長い時間が流れましたが、胎内で副作用を負った被害者の身体は、通常の身体と構造が著しく異なるせいで、既存の医療体制では充分にサポートが受けられないことがわかっていきました。2000年以降、体調不良を訴える人が増え、健康問題などに向き合おうと国際サリドマイドシンポジウム、サリドマイドミーティングを開催したいと思います。参加費は無料です。

【サリドマイドシンポジウム開催概要】

体調不良は、本人や家族の高齢化が進んだことによる環境の悪化だけではなく、体を酷使したことによる二次障害、知られていない未知の健康問題など指摘されています。慢性的な痛みや疲労があることで、これまで可能だった自立した生活の維持が困難になり、支援への依存度が高まるが既存の制度では対応しきれていない現状があります。

【開催目的】

これらの深刻化する生活環境の悪化に対し、被害者が直面している問題を社会と共有しながら、私たちはどう課題に向き合ったら良いか考えました。医療/福祉/政策の各分野で支援が必要な現状であることは間違いないのですが、複合的な先天異常を抱えるサリドマイドは、既存の制度の中で解決するのが難しいと感じています。海外のサリドマイドたちがどう向き合っているのか、どう乗り越えようとしているのか情報を共有したいと思います。孤独感が増す中で、海外のサリドマイドと勇気や友情を分かち合い、本来の自分の歩く道をとらえていきたいと思います。家族に愛され愛する人生だったのか、患者として患者の権利に守られたのか、日本は国として正義を行うことができたのだろうか? サリドマイドとして生まれてきたドイツや台湾の人々とともに、それぞれの情報を共有することで「自分たちのあるべき人生」を読み取っていきたいと思います。サリドマイドの⼈々がどんなふうに⽣きてきたのか。60 年代に社会を震撼させた薬害事件の当事者が、どういう終わりに向かっているのか。⽇本社会は知る必要があると思います。

*ドイツ語通訳、英語通訳、要約筆記、手話通訳がつきます。交通費、宿泊費の合計が15,000円を超える場合は、サリドマイドご本人に限り10,000 円を超えた場合、10,000 円を上限に超えた部分を補助いたします。ご利用の場合は、領収書をご提示ください。

【サリドマイドミーティング】 50人程度の参加を予定

日 時:2025年10月17日15:00〜18:00

開催場所:東京都中央区日本橋2-3-4 日本橋プラザビル9F 905号室

開催内容;来日されるシンポジストの皆さんと、少人数でじっくり親しく交流ができる集いの場をセッティングしました。

【国際サリドマイドシンポジウム】 200人程度の参加を予定

日 時:2025年10月18日15:00〜19:00

開催場所:東京都中央区日本橋2-3-4 日本橋プラザビル9F Vision Hall

開催内容;ドイツ、台湾のサリドマイド当事者などによる実態報告と今後の課題

【今回のイベント来場者】

市民、医療関係者、大学生、サリドマイドなど

【広報計画】

大学・医療機関・自治体の広報協力を得て情報を発信

SNS(X/Facebook/YouTube)とウェブサイトで周知

地元新聞・医療系メディアへの情報提供

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主催/企画:増山ゆかり 共催:One Team

お問い合わせ/お申し込み:

vza02115@nifty.com 増山ゆかりのメールアドレス

090 8495 4897 (仕事中は出られません。ご了承ください)

Nらじ放送内容文字起こし

NHKラジオの番組「Nらじ」の「ニュースのしゃべり場」<九月二日(火)18:08より>にて放送された内容を以下に文字起こししました。

山本 未果:
今日のニュースアップ、再び声を上げ始めたサリドマイド薬害の被害者についてお伝えします。石井さんはサリドマイドという薬、知ってますか?

石井 智也:
はい。薬害があったというのは知っているんですけれども、改めてどんな薬で、どんな経緯だったんでしょうか。

山本:
若い人はね、詳しく知らない人も少なくないと思いますけれども、戦後の経済成長期だったおよそ60年前、旧西ドイツの製薬会社が開発したサリドマイドは、妊婦がつわりを和らげる薬などとして各国で服用され、手や足、耳などに重い障害を負った赤ちゃんが相次いで生まれました。

海外で回収が始まりましたけれども、日本ではその対応が遅れ、その後も被害が拡大しました。被害者が相次いで民事訴訟を起こし、10年余りを経て、最終的に国と製薬会社が責任を認めて和解しました。

石井:
日本国内ではどのくらいの人に被害が及んだのでしょうか。

山本:
309人が被害者として認定されて、そのうち現在も生存しているのは250人ほどなんですけれども、多くが60代に差し掛かっています。

6月、都内で被害者やその支援者などが集まったシンポジウムが開かれました。主催したのは増山ゆかりさん。62歳です。母親が妊娠中にサリドマイドを服用し、両腕が短い状態で生まれました。(シンポジウム)冒頭での挨拶です。

増山 ゆかり:
被害者の人たちが、やっぱり今もう60年以上も前の事件なので、多くの人はね、終わった事件だと思っていらっしゃるけれども、まあ、そんなことないよと。私たちは今も生きているし、今も苦しんでいるんだっていうことをね、まあ、社会の世界にですね、訴えたいたいということになります。

石井:
はい。今も終わってない、今も苦しんでいるんだという切実な言葉がありましたね。具体的にどういうことを挙げていらっしゃるんでしょうか。

山本:
皆さん、年齢を重ねて健康や生活への影響が深刻になっているということなんです。健康面では、長年、手の代わりに足を使うなど、体を酷使したことによる不調が出てきた人が少なくありません。また障害は心臓の疾患や聴覚など人それぞれなんですけれども、内臓ですとか骨格にも健常者とは異なる点があることがその後だんだんわかってきて治療が難しいなど影響が出てきているんです。

石井:
増山さんは、今こうしたシンポジウムや介護を開いたのはどういう思いからなんでしょうか。

山本:
世界でもサリドマイドの被害に改めて向き合おうという動きがあるからなんです。去年、増山さんは被害者が3000人と世界で最も多いドイツを訪問しました。ドイツでは近年、改めてサリドマイドの薬害への補償の見直しが行われたんです。個々の状態に合わせた治療やリハビリを受けられる医療プログラムも用意されているということなんです。

さらに、増山さんにとって印象深かったのは、当事者の人たちが健康でより良い生活を送れるよう自ら声を上げ続けたことで、国の政策決定ですとか、社会の価値観を動かすきっかけになったということだったんです。そこで残りの人生、安心して送っていくために何ができるのか、共に考えたいという思いから国内外の被害者や支援者とつながるグループを立ち上げて活動を始めることにしたんです。

増山:
対応が遅れることによって命を失う人が出てきかねないという今ね、非常に緊張感のある状況にあるっていうことで、とにかく,これからのことを考えて欲しいと。どうやったらその充分に手当てされていない人たちにどうやって社会が理解を示して、またその国や製薬会社はそれに対してね、どんな風に対応してくれるのかっていうことを改めて問いたいというところだと思っています。

山本:
開催にあたって、増山さんは北海道から九州まで全国を回って、多くの被害者から聞き取りを行って、その証言を会で紹介しました。その一部をお聞きください。

増山:
今、昌也さんのその体の不調はどんな状態でしょうか

市川 昌也:
まあ、手術はあってもリスクが伴うわけだから、できる限り、今の状況を維持しましょうという感じです。

山本:
北海道に住む市川昌也さんは両腕がほとんどなく生まれ、現在はヘルニアに加えて糖尿病のため人工透析を行っています。

石井:
深刻な状況ということなんですね。

山本:
はい、そうですね。インタビューは現在の体の状況だけではなく、その生い立ちにも及びました。市川さんは生後すぐに乳児院の前に置き去りにされたといいます。

増山:
昌也くんはどんなことに一番やっぱり憤りというか、なんかこう自分がサリドマイトに生まれたことに何を感じています。

市川:
なんだろう、そのサリドマイドになったことで,例えば自分の家族がばらけたし、多分普通に生きていけば味わわないでよかったよっていうか、その苦しみを味わってきたわけじゃない、結果的にね。で、そのことはやっぱり理不尽だと思うし。

増山:
何を支えに頑張りました。

市川:
最初は憎しみだよね。でいつかなんとかして仕返ししてやるっていうだからそのために生きなきゃダメだって思うわけじゃん。

増山:
それは例えば親に対してであり社会に対して、

市川:
全部だよ。

増山:
全部だよね。今はどうですか。

市川:
今はもうねどうでもいいやって感じ。

石井:
理不尽な苦しみや憎しみを感じたと。当事者としての偽らざる思いでしょうね。本当に重い言葉ですね。

山本:
そうですね。増山さんがおこなった数多くのインタビューは、それぞれがこれまでの人生を振り返るものになりました。

増山:
初めて聞く話がすごく多くて、聞いていてですね、本当にすいませんね、なんかちょっと涙出ちゃうんですけれども、こう、なんでここまでね、皆さんがね、本当によくぞ頑張ってくれたと、よくぞね、生き延びてくれたっていう、そんな気持ちで聞いてました。

山本:
増山さんは、この皆さんのことを生き延びた人たち、サバイバーと呼んでいましたけれども、そのもう一人、山口市に住む中野 寿子さんのもとも訪ねました。中野さんは両腕と両足が短く生まれました。小中学校には通わず、家で絵を描いたり読書をしたりして過ごしました。

中野 寿子:
13歳になって初めて車椅子買ってもらったんですね。それまで本当に家が出てなくって、私が親に車椅子。もし外に出たいって言ったら、親の第一声は危ないだったですね。外に出て、私が人から見られることがどんなにね、大変なことかっていうのも多分予想したからでしょうけどね。

山本:
増山さんは中野さんにサリドマイドの被害がなかったらどんな人生だったと思うかと問いかけました。

増山:
あのサリドマイドに生まれなかったらどうって聞かれることも、私もたまにあって。

中野:
ああ、想像しますね。もしあのサリドマイドじゃなくて、普通に生まれてたらどうだったんだろうと。私もあの若い頃はよく想像しました。もしそうだったら、私、その障害がある人のこととか福祉とか、全然興味持たなかったんじゃないかなって思います。他に楽しいこといっぱい見つけちゃってね。全然違う視点を持つ全然違う人間になったんだろうなって。人間性が根本からきっと手足があるかないかで違う人生になってたんじゃないかなっていうのは思いましたね。どっちがいい悪いはわからない。

石井:
このやりとり、当事者同士だからこその本音のやりとりという感じしますね。

山本:
はい。私もそう思いました。声を上げて社会に訴える取り組みを始めると、増山さんから聞いてどう思ったのか、先週、中野さんから話を聞いてきました。最初はやはり戸惑いの気持ちもあったといいます。

中野:
もうずっと諦めてきましたからね。今回増山さんに誘っていただくまで。こういうもんだと思って我慢して生きていくしかないなと思ってましたけど。でも今回この活動に関わらせてもらって、これが今後どういう風に実を結ぶかは分かりませんけども、改めてちょっと怒ってもいいのかなっていう感じですかね、今のところ私は。

山本:
中野さんは外出時には電動車椅子に乗り換えますが、体が痛く辛くなってきたといいます。医師の診察を受けても原因が分からないと言われて根本的な治療はできていません。その他、生活でも様々制約がありますが、それもすべて受け入れてきたといいます。

しかし、増山さんの思いに触れて改めて自分の人生を振り返るとともに、日本で昔こんな薬害があったことを若い人たちにも知ってほしいと考えるようになりました。

中野:
特にだからってね、私はここで「不便な思いをしたんだ」「なんだこれは理不尽じゃないか」とか「差別だ」とか言ったことないしね。言っても疲れるじゃないですか、余計にね。まあでもそういうことを、そういう一つ一つの細かいことがいっぱいある中を60年生きてきたんですっていうののもう雰囲気、上辺だけでいいからなんかこうせっかく増山さんが始めたことだから世間にねもう一回知ってもらう場があってもいいのかな。まずはサリドマイドという事件があったということを知らない人には知ってほしいし忘れてる人には思い出してほしいし。

山本:
中野さんは,増山さんの活動に寄り添い、見守っていきたいと考えているといいます。

石井:
一緒に声を上げていくということをまず決めたということなんですね。

山本:
はい、そうですね。増山さんも今回多くの人に話を聞いて、活動への思いを一層強くしたということです。

増山:
やっぱり今、私たちが抱えている問題って、明日、明後日どうにかできることではないですし。もしかしたら自分たちが生きている間にこういった、その健康問題であるとかね、本当にこう一人で頑張ってきた人たちが生まれてよかった、生きてよかったと言ってもらえるような人生になるかっていうと、そうじゃないかもしれないけれども、でも少なくても今は自分一人じゃないっていうことを知ることができた、それだけでもすごく私は嬉しいなと思いました。

石井:
リスナーの皆さんからのメッセージいただいていまして、Xでは、「患者さんは私と同世代だけど障害を持って生まれたことで捨てられたのまだそんな時代だったのか」といったものですとか、投稿フォームからは、「日本でもこんなに苦しんでおられる方がいるとは初めて知りました。様々な届く声に熱いものを覚えて言葉がありません」といただいています。増山さん、今後は予定どうなっているんでしょうか。

山本:
増山さんですけれども、来月中旬にはドイツ、台湾から当事者を招いて交流して、実際にどのように補償の見直しが進められているのか、話を聞くシンポジウムを開くことを決めています。今後は医療ですとか生活支援の体制拡充を日本でもどう社会に求めていくか議論していきたいということです。

増山:
日本の中の私たち被害者がスタートラインに立ってほしいと。どんな被害で、こんな理不尽のね、自分たちがやっぱり声を上げることでね、同じ問題を抱えている人たちにもね、その自分たちが我慢すればいいというふうに思わずに、やっぱり立ち上がってほしいっていう声を上げることの大切さを実感してほしいというふうに思っています。

石井:
リスナーの方、Xからこのような投稿もありました。「小学校の頃、テレビで『典子は、今』を見てサリドマイド患者の存在を知りました。サリドマイド当事者や支援者の戦いが今でも現在進行形であることを知りました。サリドマイドで生まれなければどう生きていたか、この言葉にずっしりときました」といただきました。

山本:
まさに現在進行形の問題だということで、私たちもこう何ができるのかということを、あの、改めて考えたいというふうに思いました。以上、ニュースアップでした。

ドイツ・サリドマイド被害者連邦協会トップページ

コンテルガン
あれは何十年も前に起こったことではないでしょうか。そして、もうとっくに終わっているのではないでしょうか。それどころか、あの大惨事は再び猛威を振るい始めています。

サリドマイドによって引き起こされた初期の、時には深刻な損傷に加え、数十年にわたる脊椎、関節、筋肉への不適切な負荷がさらなる損傷を引き起こし、例えば、治療サービスへのニーズがますます高まっています。

高齢化が進む今、私たちはどうなるのでしょうか? 後遺症によってますます制約が増す中で、どうすれば尊厳ある生活を送り続けられるのでしょうか? 時には全く異なる職歴を持つ私たちの年金の喪失を誰が補填するのでしょうか? 何十年も私たちの世話と支えとなってくれた両親が、今や自らも助けと介護を必要とする状況になった時、誰が彼らの代わりを務めるのでしょうか? これらは、今日ますます私たちが抱える問題です。

私たちの活動についてさらに詳しく知りたい方、あるいは60年以上もの間汚染を続けてきたグリューネンタール社がようやく責任を認めるよう支援したい方は、ぜひウェブサイトをご覧ください。私たちの要求事項に加え、様々な情報もご用意しています。

私たちについて : 協会 ミッションステートメント/自己イメージ 法令 当社のサービス/オファー(へのリンク 準備中)

NHKラジオに出演します

NHKラジオの取材を受けました。

平日の夕方毎日放送される「Nらじ」という番組です。

今回は私 中野寿子 個人のことではなく、増山さんの現在の活動紹介がメインで、そこに同じサリドマイドとして 中野 はどう関わっているのか、なぜ関わろうと思ったのか、今後どう関わっていきたいか、というようなことをインタビューされました。

番組キャスターの山本未果さんが、なんと東京から日帰りで弾丸取材にいらっしゃいました。ありがとうございました。

9月2日(火)に放送予定だそうです。

聞き逃し配信もあり、ラジコでも聞けます。

思いつくままに色々しゃべりましたが、的外れな発言や、増山さんの思いと違う解釈をしている箇所もあるかもしれません。

その場合はどうかご容赦ください。

お時間のある方はぜひ聞いてみてください。

NHKラジオ第一 2025年9月2日(火) 18:00から19:55 Nらじ内 Nらじのサイト

今なぜ私たちは声を上げるのか?

子どもの頃は命に関わるくらい体調が悪く、熱を出して寝込むことも多かったのですが、先天異常の体で生まれたのだから、運命と思い受け入れようと思いました。なぜそのようなことができたかと言うと、私の入院していた国立小児病院では、大勢の幼い患者さんたちが、日々辛い病気と戦っていました。人は命を選べないですし、自分を卑下すれば差別する人と一緒になる、どんな自分であっても大事にしたい、三本指の小さな手を否定したくないと、子どもながら思っていました。

できなかったことをひとつひとつ乗り越え、思っていた以上に愉快な人生を送ってきました。しかし、30歳を過ぎたあたりから、よく外出中に貧血のような症状で動けなくなりました。まわりのサリドマイドの仲間の、体調不良を訴える声が聞こえてくるようになりました。歳を重ねて無理ができなくなったのかと思っていましたが、乳がんを患い手術をし、腕の可動域は半分になりました。

「やはり普通の体ではないからか?」と思っていた矢先に、あちこちから悲鳴があがるのを、聞くようになりました。治療を断念するしかないのかも、と言う声が聞こえても、いやいや誰かに人生を代わってもらうことはできないと、ただただ歯を食いしばる以外の選択肢はないと思っていました。

この10年くらいでしょうか。仲間が病気で亡くなり始めました。309人いたサリドマイドは、もうすでに250人を切る勢いで減っています。助けをもとめなくてはいけない、いや、自分たちで動かなくては間に合わないと思い、気がつけばサリドマイドが一番多いドイツ行きの飛行機に乗っていました。何か手掛かりがあるかもしれないと。何も知らずに行った私は、驚くことばかりでした。姿も見えないくらい先を歩くドイツのサリドマイドから多くの学びがありました。とても印象的だったのは、クラウスさんの「自分の人生を取り戻したい」でした。私は自分の人生は尊厳のある人生だと思っていました。しかし、私は生きたいように生きていませんでした。この世界の片隅に、私が心の底から笑える場所などありませんでした。日本のサリドマイドの仲間と話していると、正直に言うと胸をえぐられるように感じています。

生まれてすぐ病院の前に置き去りにされた、

障害を理由に里親に出された

幼少期は家の外を出ることが許されなかった、

教育を受けられなかった、

病気になって十分に治療ができなかった、

施設で育ち、家族と一緒に暮らせなかった、

誕生日を祝ってもらったことがなかった、

食べたいものを食べると言う習慣がなかった、

傘がさせないので雨の日は雨に打たれて歩いていた、

幸せを望むなんて贅沢だと思った、

こんな自分が生きていて良いのか悩んだ、

なぜ、私たちはこんなことを受け入れるんだろう。こんな理不尽が許されるのだろうか? これまでの困難は、個人が乗り越える限界を超えていたのではないだろうか?

もちろん、なに不自由なく生きてきたと、胸を張って良い人生だったという人もいます。でも、そうじゃない人も多くいました。どう生きれば正解だったのでしょうか? 今は「なんのために生まれ、どう生きていくのか」が私のテーマです。生きていることを愛しく思いたいんです。