国際サリドマイドシンポジウムにどうたどり着いたのかという話をさせていただくと、もうちょうど一年以上前になるんですが、私は北海道がふるさとなんですけれども、そこに私の友達を訪ねて行ったところ、非常にその皆さん体調が悪かったんですね。
それで一緒に病院行こうとか、どこが具合悪いのとか、まあいろいろ、何とかしてあげたいと思って、いろんな話をしてみたんですが、その方、私の本当に幼い頃からの友達なんですけれども、なんて言ったかっていうと、「いいの、私生きていたくなんかないから」って言ったんですね。私すごく驚いて、いやこれはもう大変なことが起きていると。これは何とかしなきゃって思って、故郷なのでまた別の友達のところを訪ねていって、とにかく応援してもらって、なんとかその友達を病院に連れて行くっていうことを考えてたんです。そしたら、その友達も同じようなことを言うんですね。生きている方が辛いって言ったんです、その人も。
今度は、とにかく私一人ではどうすることもできないと思って、誰かに助けを求めなきゃいけないって思って、そこでもう一人友達を訪ねていって相談しようと。その人は、あとでビデオにも出てきますけど、市川さんとおっしゃるんですね。
市川さんは糖尿病を患っていて、今、透析を受けています。透析するためのシャントという血を採取する場所が透析の継続によって使えなくなっていくんです。市川さんは足の太ももからやってらっしゃるんですね。
それで、ご存知かもしれないんですが、サリドマイドは糖尿病率が非常に高いんです。彼もその透析のために人工血管を足に入れるんですけれども、それが私たち血管も弱いっていうことで、その人工血管を入れると、人工血管に負けてしまって出血をしてしまうんですね。私なんとかしてあげたくて、その友達の相談をしたいんだけれども、その人はお医者さんに、もう次は難しいって言われてるんです。つまり、シャントを取り替えていかなきゃいけないのに次のシャントができてから何年持つかはもう人によって違うんですね。で、まあ長い人で十年以上短かったら5 6年でシャントってダメになってしまいます。
でも私、とにかくもうこれは聞いてしまった責任があるので、とにかく北海道から帰ってきて、ガーッともうとにかく情報を集めて、もう1回北海道に戻って、何かみんなでできないだろうかと。何かそのチームというかね、集まりをつくって、こう知恵を出し合ってね、できないかとか、まあ、いろいろやったんですけど。まあみんなそんなにエネルギー残ってないって言うんですね。そこで今もう私が立ち上がって何か行動を起こさないと間違いなく間に合わないっていうのだけは感じてました。
そこでネット上に呼びかけて、とにかくなにやるも決まっていないし、何ができるもわかんないけど、とにかく集まってみんなで知恵を絞ろうといったのがこのワンチームでした。
私もう1回北海道に戻った時に、市川さんに聞くんです。私、なんとかセカンドオピニオンとれるように、いい先生見つけるからって。そしたら彼、なんて言ったと思います。彼は、そんなことしなくていいっていうんです。どうしてかっていうと、私に「透析ってどれだけ辛いかお前は知ってるのか」って聞かれました。「中にはね、まだ続けられるのに、もうやめちゃう人もいるんだよ」って言うんですね。
それでも私あきらめられなくて、いざ本当に彼がまたこのシャントが使えないって言われたときまで待っていれば。もうその時には間に合わないので、なんとかしようと思って。いろんな病院にも当たって。気がついたのは、もう私ができる、一人でできることは本当に限られていると思いました。
サリドマイドの人は外見の奇形がどうしても目につくかもしれないんですが、実際には体の中にもいろんな奇形があるので、こうやって何かちょっと命に関わるような、あるいはちょっと重い病気になった時に、医療の恩恵を受けられないんです。つまり、体の作りが違うので、手術のリスクがものすごく高いんです。それで、いろんな情報を集めているところで、実はドイツにはサリドマイルの人のための外来があるということを聞きました。
そこで私も本当にせっかちなのかもしれないんですけども、そういった時からもうすぐドイツ行きのチケットを手配して、すぐに飛行機に乗る準備をして、もう思い立ってから1か月後には飛行機の中でした。
今まで私は結構いろんな苦労をしたんです。一言で言うと、例えば私、親と一緒に暮らしたことは一度もないんです。ずっと施設を転々としながら大人になりました。自分にずっと課していたのは、「生まれてよかったと思えるような人生にしたい」っていうのが私の最大の人生でやりたいと思ってたことでした。そう思ってたのに、そこに今、あとでご紹介させていただきますけれども、クラウスさんが私に、クラウスさんはどうしてこんなに頑張って,いろんな自分の人生を戦うのも大変だったのに、サリドマイドの補償問題でもすごく頑張ってきて、くじけなかったのですか、なんで頑張れたんですかって聞きました。そしたら、クラウスさん、私は自分の人生を歩きたかったと。
自分が、ちゃんと人として、人権をちゃんと行使する人生を選びたかったっておっしゃったんです。それ聞いて私、幸せになるだけじゃダメなんだと思いました。
私が幸せになったかどうかとは別に、私は自分がちゃんと人として、日本の法律にある、人権に守られた人生だったかどうかっていうことが、すごく大事なんだっていうことを思いました。
それでドイツから戻ってくる飛行機の中で、よしもう私は、今62なんですが、「私あと何年時間があるかわからないけれども、尊厳のある自分の人生を選ぶというふうに決めたんです」。でも私だけではなくて、みんな仲間も、そうであってほしいと思いました。なのに今、本当に、サリドマイドってもう忘れられていて、昔の話だよねって、こう言う人、すごく多いんです。
私が決心したのは何かって言ったら、「私の残された時間の中で絶対に自分たちは本来の自分たちの尊厳のある人生を取り戻す」ということ。それは自分のためでもあり、仲間のためでもあるんです。必ず私たちが歩いた道って、誰かがいずれ歩く道なんです。誰かが私たちが我慢すれば、誰かもまた我慢して歩かなきゃいけなくなる道なんですね。
だから私はもう被害者ではなくて、自らが自分の人生を選んで歩く人でありたいと思いました。このワンチームを立ち上げた時に、具体的に、こんなことを達成したいって言っているものがありますので、それを紹介して最後にしたいと思います。
まず、私もそうですけど、具合が悪くて病院に行っても断られることがよくあるんです。「あなたの場合は、どんな体だかわからないから治療できない」って断られるので、断られないようにしたい。安心して治療が受けられる環境を作りたいっていうのがまず一つ目の目標です。
それから、日本のサリドマイドの人は皆さん、すごく体酷使して、何でも自分でできるようにしましょうって、こう言われながら今日まで来て、その結果、もうあちこちが痛くて、今までの生活を維持できないっていうことに苦しんでいらっしゃるんです。なので、二つ目の目標としては、体を酷使しないでも生きていけるような環境に整えていきたいということです。
それから今、みんな若い時は一緒にどっか出かけるとかいう機会があったけれども、今もうだいぶなくなって、結構音信不通の方もいらして、日本のサリドマイドって今255人とか、その前後です。これはあくまでも亡くなってるっていう確認が取れてない人も中にはいらっしゃるかもしれないのでこの数字です。だからもう残された時間を本当に有意義なものにしたいので3番目の目標はとにかくサリドマイド同士、あるいはその同じような境遇の人たちで手を取り合って、自分たちの気持ちを分かり合える、そういう仲間を募って親睦を深めていきたいっていうのが3つ目の目標です。
私たちの今、日本の場合は和解確認書っていうのが1974年に国と製薬会社と被害者の間で結ばれました。裁判があって、その結果、和解をしたんです。私たちの今のいろんな、サリドマイド関係の仕組みっていうのは、その和解の時に決めたルールの中で動いているんです。1974年ではまだレントゲンぐらいしかないじゃないですか。今ならCTもありMRIもあり、あるいはもっといろんな研究技術も上がっている。60年前にわかっていたものよりも、ずっとどんな体になっているかっていうのを研究すればわかるようになってきたんです。それがちゃんと受けられるようにしたい。そして最後はその病気になってから治療を受けるんではなくて、その前にできるだけ何か手当てができるような体制づくりをする。例えば大学にサリドマイド専門の研究所、健康研究所を置いてもらうとか。個人の力ではどうすることもできないことがたくさんあります。
また、その当時にはわからなかったことも、きちんと手当てしてもらうっていうのは、当たり前の話なんだと思うんです。ですので、四番目のものとしては、必ずしも金銭ということを言ってるんではないんですが、きちんと自分たちが、例えばあの年をとっていった時に、ちゃんと暮らせるように、そういう設備のある施設とか家とか、そういう環境を整えてほしい。ざっくりした言い方ですけど、そういう保障の獲得していきたい。きちんと手当てしてもらえるような、そういう環境を作っていきたいっていうのが4番目の私の目標です。
発症当時は、まだどんな状況かわからない中で和解しました、でも、年月を経ていま必要なことはこんなことだろうっていうことで、この4つの項目を考えました。
社会に対して自分たちが何を求めているのかっていうことを伝えていくことは大事で、このワンチームの仕事だと思っているんですが、それと同時に私たち自身がやっぱり改めて,こういう大きな事件の当事者になった自分が、どう自分の人生を捉えていくのか。あるいはそれをどう社会の中に還元していくのかっていうことを、考えるいい機会でもあるというふうに思っています。














